作品がその周りの空間を規定する場合がある。反対に、空間が規定する作品もある。作品と空間の間には、そんな相互的な緊張関係がある。であれば、作品に応じて空間に手を加えたり、あるいは今そこにある空間を前提に作品を構想する一作品と空間が互いに反応し合い,関係を更新し続けるーーそんな展示空間のあり方があってもよいのではないか。今回のプロジェクトは、1990年代に建設されたこの建物(設計:妹尾正治)に、そのための初期状態をつくる改修である。公益財団法人石川文化振興財団には現在,約400点のコンセプチュアル・アートを中心としたコレクションがある。多くは現役の活動中の作家だ、展示に際して,作家に設置の希望を聞けば、あれこれ意見が出てこよう。それに合わせて、壊すところもあるだろうし、新たにつくらなくてはならないものも出てこよう.展覧会が終われば、作品は外す.けれど、空間の原状回復は行わない。前の展覧会で施された改変や痕跡が、次の展覧会を考える時の出発点になる。空間はずっとイン・プログレス=普請中で、いつまで経っても完成しない。いや、むしろ次第に壊され、ボコボコになっていくのかもしれない。けれど、それこそがこの展示空間の本質であり、価値なのである。展示空間が変化し続けることで,作品もまた変化し続ける。空間が動き続けるからこそ、そこにとどまることのない,常に現在進行形の創造の場となる。今回,改修した建物の隣に建っている建物も,その隣の駐車場も,財団が所有している。将来的には、作家から、これらのスペースを使いたいという声が出てくるかもしれない。長い時間の中で、展示空間が敷地内を移動し、変形し、現在の建物が姿を消し、敷地全体がまったく異なる様相を呈している可能性もある。未来は予測できない。だが、敷地内に今も残る岡山城の石垣は、この場所にとってかけがえのない資産であり、それとの関係は、今後いっそう重要なものになっていくだろう。展示空間の変化が石垣との関係を強化していくなら、それはこのプロジェクトのもうひとつの果実でもある。形式として言うならば、今回のプロジェクトは、「コンバージョン」である。しかし、それはある特定の完成・完結・安定した世界をつくり上げる作業ではなく、その逆に、次の瞬間,どちらの方向にも行けるような、不安定な均衡状態を意図的につくり出そうとしている。そうした不安定さこそが、展示空間として最も豊かな空間の質だと考えているからである。既存建築の内装は、ポストモダン建築らしく、強い記号性を持ち,確定された意味を空間に与えていた。今回の改修では、その内装を基本的には剥ぎ取っている。ただし、それは空間を“中立化するためではない。むしろ,意味を発しながらも,その意味が一義的に読めない状態ー一すなわち多義性のある空間一ーをつくるためである。たとえば,仕上げの都合によって、コンクリートスラブに「ヌスミ」が施されているため、そこに幾何学的な凹凸が現れるのだが,こうした(然の痕跡が、次の展示の起点になる可能性となる。場所によっては、床に貼られた黒影をそのまま残すという判断に至ったところもあり、またトラバーチンの壁を黒く塗りつぶしたりもしている。マイナスされるところもあれば、プラスされるところもあり、壊しているのか、つくっているのか、その両極が同居することで、どちらに転ぶか分からぬ意味の宙吊り状態を達成しようとしているのである。そういう状態は、まさに私が「原っぱ」と呼ぶもの。ここでは、それの決定ルールをオーバードライブすることで実現しようとはしていない。そうではなく、足し算と引き算とで暫定的につくられる、いわば「中立点」のありかを見つけるという方法を採用している。ちなみに,ジル・クレマンの「動いている庭」のアイデアは、谷底の小川が流れる荒地を、自宅の庭として取得したことから始まっている。荒地には、次から次へと、さまざまな植物が入り込んできて、毎年のように、様相を変える。しかし、放っておけば、そのうちに、繁殖力が強い種が入ってきて、それが全面を覆ってしまう。そこで、そうならないように、庭の様相がずっと変化し続けるように、「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」よう介入した。庭師という職業を,そういう手入れと再定義したのである。「原っぱ」も,クレマンの「動いている庭」と響き合っている。そこでは、空間の変化が止むことなく続き、その都度、応答がある。完成しないこと、変わり続けること。それを前提にした展示空間の可能性を試みている。
近年、陸上競技場がサッカーとの共存を前提とした多目的化がすすむ中、国内では珍しい陸上競技に特化した陸上競技場を目指している。400mトラックの内側に公認サイズのサッカーコートを設けないことで生まれる余白を活かしながら陸上競技を構成する20以上の種目のレイアウトを運営と観戦にとって最適な位置に再編すると同時に、アスリートを間近に感じるために客席スタンドをフィールド目一杯に近づける。各種目のレイアウトは必ずしも整形ではないため、余白を設けずにスタンドを近づけるとその外形は従来の陸上競技場の定型であるオーバルではなく不整形になる。競技面のレイアウトがスタンド形状はもちろん、スタジアムのデザインそのものにも直結するため、陸上関係者を交えた最適化の作業が幾度となく繰り返された。劇場で言えばホールの、美術館で言えば展示室のあり方に触れることで新しい型が生まれる。陸上競技場の場合、フィールドとスタンドのあり方をひとつずつ見直していくことでオーバルという定型が解れていく。 近年の陸上競技場はまた、風や音のコントロールとスタジアムのシアター化のために周辺環境から閉じられる傾向にある。そこでは日常から切り離された高揚感と満員の客席がよいとされるが、陸上競技場が観客で埋まるのは数年に一度あるかないかという現実がある以上、非日常の賑わいだけを前提にしては一年の大半が寂しい風景になってしまう。一方、スタジアムのルーツが古代オリンピックのスタディオン走にあるように、陸上競技場には本来、開かれ、周辺環境と一体に作られてきたという側面がある。その起源に立ち戻り、緑豊かなランドスケープの中、アスリートと観客がそこここでスポーツを楽しみ、研鑽する、日常と地続きにあるスポーツと活動の風景をこそ前提にしたいと考えている。このプロジェクトは2020年の春にはじまった。設計期間の大半を占めたコロナ禍は、多くの人にとって、賑わいだけではない豊かさを考えるきっかけになったのではないだろうか。
1978 年パリでの「間」展では,「間」が複数の言葉に分解され,それら言葉が捉えていたはずの概念にまで一度立ち返ることで,「間」の概念を現在に展示することが試みられた.したがって,それは日本的に見えるものの再現であるいわゆるジャポニズムとは異なり,必ずしも「日本的」には見える必要はなかったし,またそれが目指されたのでもなかった. 今回の「間」展もその方法論の延長線上での試行であり,私に与えられたのは「かがやふ= shadow」という言葉であり,そこで展示されるべき篠田太郎の映像作品であり,ペルシアの旧邸宅の地下のヴォールト空間であった.直接的に想起されたのは,かつてペルシアに起こったゾロアスター教の教えと儀式をもとに成立したとされる(伊藤義教)東大寺二月堂のお水取りであり,その咒師松明の炎だった.篠田太郎の大写しの月(作品「LRTT –Lunar Reflection Transmission Technique」)を中心にして,そこから闇に向かって,大量の光の飛沫が散っていく.その状況を,自然の運行だけを使って実現すべく,外部テラスに風でそよぐ自家製の「彩光花」を7 機据え,そこから移り気にはためく太陽光を,地下空間の闇にまで光ファイバーで導くこととした.
古くから骨董店や古美術商が並ぶ京都・新門前通にある町家を改修し、今年リブランディングされたデニムプロダクトブランドの店舗とする計画である。 元は住居兼小さな古美術店だったという築70年を超える四軒長屋の一画は、経年相応に古く大部分の木と土壁が黒ずんでいた。一方で、所々に年代の異なる改修や手入れの跡が残り、直近10年ほど前の屋根大修理によって、吹抜けを見上げると野地板や垂木はまだきれいな白木の状態で残されていた。一概に既存と言っても施工時期におよそ70年分の時間差があり、既存=古いという大括りでは収まり切らない、まだ「新しい既存」が存在する。それは、つい最近まで生活が営まれ、幾度となく手入れが施されてきた、生きられた町家ゆえのリアリティだろう。 「新しい既存」の存在は、既存改修の前提となる古いものと新しいものという対比構図に揺さぶりをかける。新旧の対比や連続をふまえると、古いとも新しいとも言い切れないどっちつかずの「新しい既存」という存在をどう扱うべきかが悩ましい。「新しい既存」に正面から向き合うにはまず、従来の新旧という軸を無化していく必要があるだろう。たとえば新旧を、施工年代または見えとしての新旧に分解する。既存部に「古い既存」と「新しい既存」があるように、改修部を「新しい改修」と「古い改修」があると捉える。吹抜けを照らすアクリル照明が一目で新しい改修だと認識できる一方で、耐震補強や手摺に使われている黒皮の鋼材や伝統工法で継ぎ目なく加えられた柱梁、錆丸太を既存部と区別がつきにくい古い改修と捉える。既存柱を灰汁洗いにより“新しい”に近づける一方で、改修柱は柿渋塗りにより“古い”に近づける。柱梁から階段、手摺、窓枠、簾まで、既存と改修、見えの新旧は各エレメントのスケールまで細分化され混在する。そうして、新旧の境界をより曖昧に、既存と改修を立体的に編み込んでゆくことができないかと考えた。 年々増加する国内外の観光客の取り込みを意図し、京都の町家改修に、より“京都らしさ”が求められる昨今の状況の中で、我々は既存町家を重んじるでも軽んじるでもなく、できるだけフラットに眺め、古いものと新しいもの、あるいは既存部と改修部を等価に扱うことに努めた。それは、この街に拡がる“京都らしさ”の力学に引き寄せされすぎないための、そして、目の前にある町家の歴史と環境、空間に面と向き合うための手立てだった。
尾道の市街地のすぐ北に位置し、多くの市民や観光客で賑わう千光寺の山頂にたつ展望台とロープウェイ駅舎の建て替え計画である。千光寺の山は花崗岩と真砂土でできており、展望台の位置する山頂も至る所に大きな岩が地中に点在していた。この岩を削り砕くと膨大な時間と費用がかかるだけでなく歴史ある地形の改変にもつながるため、新しい展望台はできるかぎり岩を避ける計画とした。そのため、半分地下に埋まる新しいロープウェイ駅舎は解体される既存駅舎のフットプリントをそのまま踏襲することで新たな削岩範囲の発生を避け、上空では新しい展望デッキの支柱を6本に集約し、そのスパンと角度を調整しながら地中の岩との干渉が最も少なくなるよう支柱の着地点を定めていった。 山頂の地面から6.7〜8.7m上空に浮かぶ全長63mの展望台はエキスパンションジョイントを挟んで東側17mと西側46mに分割されている。東側17mは地下1階のロープウェイ駅舎とエレベーターシャフトと一体の構造で、展望デッキの水平力をエレベーターシャフトが負担し、展望デッキの支柱は鉛直力だけを負担する30cm角の1本柱となっている。一方、西側46mの躯体はらせん階段と一体の構造で、その水平力を長手方向に1つ、短手方向に2つのハの字の支柱が負担する。 展望デッキの西側46mに取り付くらせん階段は、蹴上16cmに対して各段が基準法上の踊り場とみなせるよう踏面を121cmとすることで、中間にいわゆる踊り場による屈曲点を設けない、下から上まで一様ならせん形状としている。構造はその一様な幾何学を生かし、梁を兼ねた手摺壁と水平梁を兼ねた踏面で構成されるRC造L型断面を4.6mごとに鉄骨柱で支持している。階段の踏面レベルと起伏ある地盤レベルにより全ての柱長さが異なるため、この柱を鉛直片持にすると短い柱に水平力が集中してしまう。そこで、全ての柱をらせん階段の中心に向かって8°ずつ傾け、軸力抵抗により柱長さによらず分散的に水平力を負担する計画とした。
Edomaejima, a long, narrow peninsula jutting out towards the clear blue sea, was once observed from the Edo Castle until its reclamation in the 17th century. Ginza is at the tip of the bygone peninsula, where Louis Vuitton opened its first flagship store in Japan in 1981. The idea of a new “pillar of water” is conceived for the rebuilding of the original architecture.The exterior façade wall consists of three-dimensional curved glass, on which a custom-made dichroic coating is applied. The glass embodies water for its primal color of blue, blended with its complementary color of orange reflecting upon it. The balance between the two hues is dependent on the angle and the brightness in the surrounding, resulting in the surface’s iridescent impression.Transparent gradients in the glass act as portals to outside view as well as external lighting that interrelates with the interior.While visually connecting the interior and exterior of the building, another structural apparatus is implemented; the supporting frame of the 3D façade’s glass is inserted and hidden between the piece of laminated glass, so as to obscure its view and present a smooth, uninterrupted skin that envisages the undulating surfaces of water.On the 3D curved façade surface, distorted images of the surrounding landscape of Ginza are reflected and imposed. At night, the building naturally renders the surrounding light of the glittering billboards of Ginza, without itself imposing the light. What appears on the surface is a manifestation of both here, but also somewhere else.This architecture, clad in natural phenomena, will continue to flow along with the scenery of Ginza.
17世紀に埋め立てられるまでは江戸城の眼下に細長く突き出た半島があり、江戸前島と呼ばれていた。銀座はその半島の先端にあり、周囲は青く透明な海だった。1981年にルイ・ヴィトンは日本初の直営店をここに構え、その建替えにより新たに「水の柱」としての建築が構想された。 外壁は特殊なダイクロイック加工を施した3次元曲面ガラスで覆われている。そのガラスは、水を想起させる青系の色調をベースに、その補色であるオレンジ系の色調が反射し、見る角度や明るさによって各色調のバランスが変化するため、一定の色として認識されない色面をつくっている。 グラデーション状に透明度が高くなる領域が部分的につくられ、採光や眺望をもたらす開口部として内部と呼応する。3次元曲面ガラスを支持する枠は合わせガラスの間に差し込み、外部に露出しないようにすることによって、滑らかにうねる水面のような外皮が実現した。 外壁面には周囲の風景が、歪曲した反射像として映り込む。夜間には銀座の煌びやかな看板の灯りを有機的に還元して反射し、自らは発光することなく艶やかに輝く。表層に現象として現れているのは、ここであり、ここでないどこかである。 自然現象をまとったようなこの建築は、銀座の風景とともに変化し続けていく。
大きくいえば、多際川に流れ込む小川が西に蛇行してできた岬のような場所の、その突端である。昔、神社があった、と聞いても驚かないかもしれない。その土地から岬の根元の東に向かえばゆっくりと下っていき、岬の鞍部となる。西と南のすぐ先は、急斜面で下る。そんな丘の上に基を築いて、上にとんがり帽子のような屋根をゆったりと載せる。それがこの家の基本的な構えである。 西と南の2面で道に面している。道の方向を軸としてその2軸に沿って基壇を置き、屋根を架けた。南北軸が長軸で22mほどの長さ。南に向かって80cmくらい緩やかに下っている。短軸は東西軸で長さは11mほど。1階を南面道路の高さに揃え、北側では半地下とした。家本体と塀との間にできる通路状隙間の地面は、一律、1階床から75cm上げ、細長く浅い庭とした。座って窓越しに見れば、目線の先に庭の地面が間近に広がる。 屋根は長軸方向に8.1mの長さの棟を上げ、8分5厘の勾配で全方向に距離にして3.75m、軒を下ろした。南と北に半割れの、半径3.75mで広がる円錐状の場所ができている。棟木は350×150×9mmの鉄骨角パイプ、垂木は成が棟から軒先に向かって228mmから130mmまで絞られる90mm幅のLVL、半円形に弧を描く軒先の水平梁は4.2mm厚101.6mmφの鉄丸パイプ。木造と鉄骨造の混構造である。この大屋根の下、中央を室内化して、居間としている。 棟木を支える、教会堂におけるアプスのような両端部は半円形平面の鉄筋コンクリート造の「塔」で、1、2階を貫通する。打放し鉄筋コンクリートは外壁では普通型枠を用い、内壁では一般型枠を用いている。外壁はそれにクリアの水性浸透系塗料、内壁は水性浸透系塗料を塗布しているが、1階中央廊下では若干の紅色顔料、またアプス部を除く1階内壁では、白顔料を加えている。
建主は、街区の中心に位置する敷地の奥まった印象を好み、そこに外部から内部の様子が伺い知れない住宅を欲した。一方で屋外には開放感を求めていたため建築で外部空間を囲い取る形式が初手となった。 歳月と共に手狭になった現在の住まいからの増床を図るため、敷地の輪郭に沿って2階分の外壁を設定し、フットプリントを最大化した。方位と生活動線に応じて機能を配置し、必要な幅の分、内向きに空間を膨らまし、建蔽率を使い切った。中心に残された外部には地階を計画し、掘削量と山留を減らすため、建築面積に含まれない地盤面上1m以下の範囲で地階の屋根をもち上げた。さらに1階居間の床をGL-500mm、キッチンのある地階の床をGL-1,600mmとし、階で機能を分けつつ、関係性に応じてレベル差を小さくした。こうして、2階の円環状の空間と、地階床・1階床・地階屋根のスキップフロア状の空間という異なる質が生まれた。地階屋根の上は、テラスと名付けた。建主はここで、屋外映画鑑賞会や、バレーボールの練習をする想定である。機能面から床をゴムチップで仕上げたが、用途と無関係な鮮やかな青色を選択したことにより、空っぽの空間の特殊性が強まっている。そのテラスに向かう開口を介して、1・2階の空間が視線で結びつき感覚的距離は縮まる。一方、テラスを中心に周回する動線により、物理的距離は引き延ばされ、見ることと、行くことが別の距離感として同居している。高さ、長さ、幅が階や辺ごとに異なり、空間は室を跨ぐ度に伸縮する。幅750mm、長さ10m、天井高さ3.3mの極端に細く高いクロークと幅4mの寝室が連続する。材や幾何学の取り合うコーナーで濃密になり、直線部で引き延ばされ希薄になるというディティールの粗密の変化もこうした体感に貢献している。 地階と一階の関係において、距離感は床のレベル差の隙間の扁平な繋がりの中に現れる。引きのとれる地下のキッチンからは、1階居間の10mほどの長さの壁面の全長が見渡せる。居間に立てば目線がテラスの先まで抜け、2室分の90㎡の広がりが得られ、座れば9mほどのパノラマの先に地階が広がり、キッチンと居間は親密な距離となる。 大小、遠近、高低、粗密に加えて色の有彩・無彩、細部の洗練・粗野といった要素も含めた多様な階調の集合からなるこの建築は、それらの間を揺れ動く、どっちつかずの均衡を作っている。空間は主体の所在によって緊張し、弛緩し、繋がり、途切れる。狭小敷地やローコストといった制約の少ない計画において、贅沢さや建主の望む「自由な感じ」はこの階調の中に見出されている。
京都市美術館本館は、現存する⽇本の公⽴美術館の中でもっとも古い、⽇本趣味建築を代表する建築である。1933 年の開館以来、京都市⺠をはじめ多くの⼈に親しまれて来たが、築後80 年余りを経て⽼朽化により、時代とともに美術館に求められる機能に対応できないでいた。特に、近年の⼤量の観覧者を受け⼊れるロビーや、発券・案内スペース、ロッカーやトイレといった基本的なサービス機能を⼗分ではなく、また、⼤型化・多様化した現代美術作品に適した展⽰空間も備えていなかった。このため、美術館のいきいきとした姿を後世に残しながら現代のニーズに応える「保存と活⽤」をどのように成すべきかということが課題であった。そこで私達は、⻄側広場をスロープ状に掘り下げて、かつてクロークもしくは荷物預かり所だった地下室を新たなエントランスにすること、そこから中央ホール(旧⼤陳列室)へ階段であがり、東側の⽇本庭園へ抜ける東⻄の貫通動線をつくることを⾻格としながら、現代美術展⽰室と収蔵庫の増築、本館のバリアフリー化及び設備改修、中庭の再⽣、アメニティ施設の新設などを⾏った。可逆性をもたせた慎重な改修と、必要な機能を⼤胆に挿⼊・付加することのバランスを常にとりながら、これからの美術館としての機能を満たすだけでなく、地域全体の⼈の流れを活発にするような再整備を⽬指した。この計画は、これまで細かな補修をしながら使い続けてきた京都市美術館の改修履歴を初めて総合的に記録する。遠い将来ふたたび改修されるときには、今回の計画が基準になる。そのように歴史が重層していくことこそ、京都市美術館がこれまで育んできた豊かさであり、可能性である。
大阪は水の都であり、街中に運河と川が縦横無尽に張り巡らされている。 また、江戸時代には菱垣廻船という船が大阪と江戸の間で物資を運び、行き来をしていた。 こうした歴史を持ちつつ、文化的にストレートな振る舞いを好むこの街では、一目で船の‘帆’とわかるデザインがふさわしいと考えた。 外装は幾つかの建物のボリュームを10枚の帆が覆ったものとなっている。帆の全体形状は 風を含んだ布の柔らかなカーブを作るために3次元に曲げた形としたが、一枚一枚の硝子は製造・経済的に効率化を図るため、2次元に曲げた硝子を用いた。 また、帆の硝子は、白の布のパターンをプリント(セラミックフリット)した2枚の高透過合わせ硝子を用いている。帆が硝子の色味で少しでも緑色に見えるのをできる限り防ぐため、セラミックフリットは、一番外側の面に用いた。 外装デザインにおけるもう一つのポイントは、帆の硝子面を支える‘ステイ’と呼ぶ構造体の見せ方である。通常は隠されるはずの構造体を、帆の硝子越しに見せることによって、それも含めたデザインとして完成させることを試みた。これまでのルイ・ヴィトンの外装デザインでは、そうした裏側の要素は見せずに現象を作り出してきたが、今回はすべて見せているものとした。 これまでのルイ・ヴィトンの、現象をまとうようなデザインとは異なり、素直に船というテーマを持たせ、さらにそれをインテリア側とも共有することで建物の外から室内まで全てを一体としたデザインとしており、新しいデザインのアプローチとなった。
クロード・モネに、「ラ・グルヌイエール」という絵がある。1869年、モネが40代半ばの時の作品である。ラ・グルヌイエールというのは、パリからセーヌ川を下ったところにある行楽地。ルノワールと一緒に行って、キャンバスを並べて描いたと言われる。実際に、ルノワールにも、同名の、同じアングルの絵がある。比べてみると、モネの関心の中心が、水面にあることが分かる。深緑,灰緑、鶯色,露草色、白の絵具が、水平のストロークで置かれている。色は混ざっていない。にもかかわらず、不思議なことに、画面から、ゆったりと波打つ水面が、迫真力を持って伝わってくる。光学的に言えば、これは正しい描き方ではない。画面にあるのは、各色の短い線の集まりばかり。しかしそれを見る私たちの頭の中で色が合わさり、光を受けてうねる水面の像が脳内にかたちづくられる。現実の光学的な写しではない。絵画が、ここにおいて、3次元の現実の2次元への投影であることをやめ、逆に、3次元へ投影されるべき2次元の現実になったのだった。「筆触分割による視覚混合」と呼ばれる、こうした印象派の試みの後に、日本ではたとえば、福田平八郎の「連」(1932年)がある。こちらになると、色はもっとずっと限定されている。地は、金箔の上にプラチナ箔を重ねたもの。そこに、岩絵具の青のみで小さな線の群が描かれている。画面の上に行くほど、線と線との間隔が狭まっていく。そんなつくりで、見る人の脳内に、岸辺に立って、斜めに見下ろした時の水面の像を浮かび上がらせる。絵画は、少なくとも西欧では、レンズを通して得られる投影画像を手本にしてきた。それを画面の上に定着することを理想としてきた。しかし、19世紀の半ばに差しかかる頃、画家の手を借りずに、それを化学的に紙面に定着する技術が発明された。そうして、19世紀の後半に入り、写真と呼ばれるその新技術が広く行き渡っていく中で、それとは別の方法での「写実」を試みる先端的な画家たちの一群が現れてくる。画面という2次元上での現実の再現ではなく、それを見る人びとの頭の中に現実を再現する、そのための2次元の現実としての絵画、ということが試みられたのだった。そんな2次の現実を、もう一度、3次元の現実に戻してみる。「LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI」の試みをひと言で言えば、そういうことになる、筆触分割で描かれた水を立体化してみる。だから,でき上がったそれは「現実的」には見えない。絵が突然、現実の街にコピペされたように見える。ダイクロイック・ミラーは、光の中からある波長を選んで、それを反射し、それ以外の波長を透過させる技術である。反射光と透過光が補色関係になる。今回、特注したダイクロイック・コーティングでは、反射光がオレンジ、透過光が全スペクトラムからオレンジを引いた色、つまりターコイズブルーがかった色になる。そして、その透過光が、ガラスの裏面に貼られた乳白色のフィルムに当たることで、ガラス面がターコイズブルーを反射する。つまり、外から見れば、反射光と透過光のどちらが優勢かで、オレンジとターコイズブルーが交代する。面に起伏を与えれば、その起伏に合わせて、その交代がより強まる。ガラス面自体は大きな起伏ではないから,単なるミラーでは、さほど波打っているようには見えない。ダイクロイック・ミラーにすることではじめて、筆触分割となって、視覚混合が起き、うねりが見えてくる。2次元上で実現されることを、もう一度、3次元の現実に戻す、というのは、「SIA青山ビルディング(現・ヒューリック青山第ニビル)」(本誌0806)でも試したことポツ窓の高層ビルを頭に浮かべて、紙に描く。窓の大きさはどうしたって不揃いになり、輪郭線は揺らぐ、そんなフリーハンドの絵をそのまま立体化し、現実の大きさにまで拡大してみる。そのためには、外壁から打ち継ぎ目地を消さなければならない。窓の開口は、単なる!四角」として見えるものとしてつくらなければならない。しかし、そんな無理を通せば普通招く、窓際からの雨水の「よだれ」は、つとに避けなければならない。持てる技術を総動員して、ドローイングが、現実の世界にそのままコピペされたような建築をつくり出そうとした。こうした試みの実現には、かなりの技術の、かなりの時間をかけた検証が必要になる。 しかしそれは、たかが、表面の問題ではないか。内部の空間構成に、関わりがないではないか。これは「建築」なのだろうか。正直なところ、そんな戸惑いと、ずっと、付き合ってきた。ルイ・ヴイトンのための最初の仕事「LOUIS VUITTON NAGOYA」以来である。一応のけじめは、「ルイ・ヴィトン 銀座並木通り店」でつけた、つもりだった。だから,ルイ・ヴィトンの店舗での試みが「一巡した」と書いた。外装とは包装紙にすぎず、装飾にすぎない、そして、その装飾が純粋であれば、それは実際には存在していないある特定の内部世界への想像を誘う実体となり得、それはまた内部空間と等価になり得るのではないか、と書いた。鷲田清一さんの『モードの迷宮』(中央公論社、1989年)から,実体というのものが衣服の裏にあるのではない。というくだりもら!用した。しかしこの時の納得の仕方には、どこか,煮え切らないところがある。やはり内部空間は無視できない。実際、その後の仕事でも、内部空間の構成と帳尻を合わせようとしてきたからである。「LOUISVUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJI」の内部空間は、基本的にはユニヴァーサル・スペースである。階高にいくらか差があるが、基準階が積層されている。「帆」の集合という外装は、それがひとつの論理でできているという点で、その実体を裏切っていない。帆と帆との間の隙間は、ベランダとして使われ得るし、また外の景色が直接見える場所をつくり出す。だから、帆の配置の決定には、内部空間側との協調を経ている。とはいえ、内部空間は、商業施設の場合。やはりフレキシブルなのである。毎年とは言わないが、かなりの頻度で改装がある。時には、床を抜いて吹き抜けをつくることもある。内部空間には、そうした可変性が要求されている。そうした可変性。あるいは可変可能性をそのまま、外観のデザインに持ってきたのが、たとえば、ポンピドゥーセンター(1977年、設計:レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャース)である。あるいは、一連の「ハイテク建築」。仮設性を前面に出すことで、建築としての首尾一貫性を担保する。しかし何も、商業空間や展示空間や工場空間の可変性を表現することの内的理由はない。百貨店の外装なら、その内部空間の可変性の表現以上に、ブランディングとしての役割の方が重要だろう(ポンピドゥーセンターの場合は、「現場性」という美術館の思想表現でもあったわけだが)。可変性を、「建築」としての都合で召喚するのは、ヴェンチューリに倣えば「ダック」であり、これは「建築」を超えたより大きな視点に立てば、本末転倒である。しかしだからと言って、「装飾された小屋」、つまり潔く、外装を本体からまったく切り離す、までは、やはりいかないのである、では、どうすればよいか。「LOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJI」では、まず外装のデザインがほぼ確定した後に、インテリア・デザインの参照源として、「スーパーヨット」が浮上してきた。小屋があってそこに装飾が付加される。ではなく、装飾があってそれが内側世界の構築のきっかけとなっていった。表層が、本来的にはそれ自体では形を持たない内部の性格を規定していった.小屋が先にあるのではない.まず外殻,つまり装飾があって、ついで、その裏面に接する部分のあり方が決まり、そこから内側に向かって徐々に、外殻の世界が浸透していった。小屋と装飾の前後関係が逆転しはじめていたのだった。「LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI」は,形としては「柱」であるし、また実際、単純な柱に見える。それが、基準階がそのまま積み重なってできた建築であることを素直に表現している。しかし、その表層を、脳内で像を結ばせる、つまり現象を生じさせる、2次元絵画の実体化という面倒な過程を経たつくりにすることで、本来的には不定形なその内側世界を凝結させていっている。これはある意味で,最初の「LOUIS VUITTON NAGOYA」への帰還のようでもある。であれば、もしかしたら、ここにきてようやく、「一巡した」のかもしれない。「衣服の向こう側に裸体という実質を想定してはならない。衣服を剥いでも,現れてくるのはもうひとつの別の衣服なのである。衣服は身体という実体の外皮でもなければ、被覆でもない。」これが2004年に引用した鷲田さんの文であった。
ロロピアーナのファブリックの、触れてはじめてわかる、えもいわれぬ感触を視覚的に表現しようとした。その感触は、言葉で言い表すことはむずかしいが、ただ柔らかいというのではなく、たおやかで、しっとりした、日本的に言えば「艶」があって……、ということになるだろうか。小口をステンレス鏡面#400とし、側面を下から上に向かって、クメル色(レンガに近い茶)からライトグレーに塗装した、二等辺三角形断面のルーバーからなる、全体としては3次曲面の外壁である。夕方、陽の光が落ちて、外からの光と内照式照明の内からの光が拮抗する瞬間、外壁は玉子が中からの光を得たような艶かしい肌に見えるのだが、そのときを中心として、昼の景と夜の景をもつことを考えた。
想定以上の大震災にあえば、堅固な建築も壊れる。僕たちが拠って立つ世界は盤石であるどころか。生き物のように動く環境である。であれば、まっしぐらに、堅固さばかり追うのではなく、この柔らかい環境に柔軟に呼応する建築を考える方が理にかなっているのではないか。実際、柔構造、制振構造、免震構造は、そんな認識から生まれてきた。 その一方で、人も動く存在だ、つまり、建築はその内外から動くもので挟まれた境界面と理解することができる。建築は、内の動きと外の動きがせめぎ合い。その結果生じる動的な皮膜と考えられる。しかし、その皮膜の動きは、内にいる人に不安を感じさせるものではあってはならないだろう、逆に、外の世界が、ゆらぎや動きを内在させた豊かな世界であることを感じさせる「柔らかさ」を持つべきだろう。そして僕は、その「柔らかさ」を「ぼよよん」と形容することにしている。静止という容態は一通りであるが、動きには無限の動き方がある.その中で特定の動き方を実現するためには、1階層上の,構造的,物的検討が必要になる.
tonton こどものためのアート情報誌 [トン・トン] 企画 <ブンシツインタビュー> 日時:2015年10月23日21時30分ごろ~22時30分ごろ 場所:ブンシツ-東京 参加者:青木淳建築事務所十日町ブンシツ 竹内さん(T)、笹田さん(S)/樋口道子さん(H)/柳大祐さん(Y) テキストインタビュアー:tonton向坊(M)/音読:竹内さん ■質問1/「ブンシツはわたしにとって○○○なところ」 M:今日はお忙しいところお集まりいただいて、ありがとうございます。早速ですが最初の質問についてみなさんにそれぞれお答えいただきたいと思っています。 H:こんばんは。私にとってブンシツっていうのは、ブンシツを通していろんな地域のひとたち…世代もやっていることも違う人たちとの交流ができる場、竹内さんや笹田さんを通して都会から来てくださる方との交流ができる場。そこに関わっているということがわたしにとってほんとうにいま、幸せでございます。以上です。 M:ありがとうございます。○○にあえていれるとしたら? T:「ブンシツはわたしにとって○○○なところ」という質問ですね S:まとめなくちゃだって(笑) M:あとで聞きたいです。ありがとうございました。では柳さん。 Y:こんばんは。柳です。僕にとってブンシツはですね、「都会の路地裏のバー」みたいなところです。 H:(笑)すごい表現、、、なるほど。 Y:東京にいるときは、誰も自分のことを知らないので、自分自身でどこかに行ってやりたいこととか思ってることとかを話せる場所というのが、たくさんあったんですね。十日町に戻ってくると、よくも悪くもいろんな人とのつながりがあります。うちは自営業ということもあって、地域の人にとてもよくしてもらっているところがある。その反面、非常に人とのつながりが強いので、僕個人がなにかルールを無視してやったりとかは難しいというか、協調性が求められる空間というのが僕のまわりでは立場的にありました。そういう意味では十日町の町中というのは、東京みたいなもので、なおかつブンシツはその中でも路地裏のバー的な、隠れ家的な要素が非常に強くて、ここにくれば、まわりの地域の関係性とかなく、自分のやりたいこととか、思っていることをいろんな方と議論できるところがブンシツにはあるかなあと思っています M:僕にとっての「東京」としてのブンシツ、、、。なるほどなるほど。おもしろいです。 Y:サブトン一枚来た(笑) M:でも路地裏、なんですね Y:そうですね。まだ、良くも悪くもブンシツはきっと十日町の町中で市民権をがっつり獲得している場所ではないんですね。だから逆にいいな、と思ってます。ここには今までの既存の方の力関係とかがない。そういう人が来ると、若い人はなかなか自分が思ってる企画とかもできないかと思うので、そういう隠れ家的な、というか見つかってない場所というのがいいな、と思ってます M:秘密基地っぽいんですね Y:そうですね。そんなかんじはしますね…そっちのほうがいいかな(笑) M:でも路地裏のバーもいいですね Y:二丁目っぽい人がいないのが残念ですが(笑) M:道子さんはチーママ H:やりた~い! M:ぜひやってください! S:向こう(前ブンシツ)は特に路地裏っぽくなかったかもね H:路地裏、というイメージはなかったですねえ Y:誰も知らないから H:あ、そういう意味ですね Y:そーいう意味ですね M:ありがとうございました Y:ありがとうございました M:じゃあ、どうしましょうか。ブンシツのおふたりに、、、 S:そこまとめてくる(笑) H:みなさんに、への質問ですからね M:聞いてもいいですか。それかほかの質問に移るか、、、 Y:いや。ぜひ聞いてください M:はい。では、リクエストにお応えして、、 S&T:…………… M:先にこっちの質問からでもいいですか。 H:どうぞ ■質問2「ブンシツのたのしいところ/たいへんなところ」 S:あ、ぼくらへの M:笹田くんと竹内くんへの質問 Y:じゃあ、まずは竹内さんからかな T:ブンシツのたのしいところ…いろんなひとが来てくれて、何かそこで一緒にできるってこと、それが仕事なのか日常生活の延長なのかよくわからないところでできるところがたのしいです。たいへんなところ…は仕事なのか…たいへんなところはいろいろありますが、やっぱりこういう、今までやったことないような試みなので、それに伴うところで、いちいちどうやっていいかが、わからないことがありますね M:こたえがない T:うん。そういうことかな S:前例がない M:ところ? T:そうですね M:笹田くんはいかがですか? S:うん、わりとまあ、似てるかもしれないですけど、普通に東京とかで設計事務所にいる業務とは全然違って、図面かいてることもあるけど、入れ替わり立ちかわり人が来るし、いろんなことが起こるし、フィードバックとかスピード感とかが違うなと思うことはあって面白い。プロジェクトがダイナミックに動いているのがわかる。 M:たいへんなところは? S:たいへんなところは…個人的な話になるんですが、僕わりとマルチタスクが苦手な人間なので、そういう意味でいろんなことが同時に並走しているっていうのは、切り替えたり、マルチに対応していくのはたいへん、、かな M:修行っぽい、、ですね H:修行、、 T:修行はマルチじゃないのでは、、 S:マルチにやるってことか、、 M:そう、いろんなことをやる修行。 なんとなく最初の質問の答えだったような気がしてます。でもあとで最後にもう一回聞きます、ので考えておいてください。 S:(笑)xxx M:え?なんていったの? S:トリですね。大トリ M:あ、そう。北島三郎的なかんじで H:なにそれ(笑)紅白みてないとわからない(笑) M:じゃあ次の質問です ■質問3/「ブンシツから見た十日町のいまと未来の姿」 M:について、みなさんのそれぞれの立場から聞いてみたいです ブンシツがあることで、十日町の「未来」の像は変わりそうですか? H:そうね。未来の姿が見えてくるかも。ブンシツがあったおかげで M:ふむふむ。どんなかんじの未来ですかね? H:2つの建物をどのように使っていけるかということ。あと、個人的になんですけども、交流館のところに畳のお部屋を作っていただいたんですね。そうすると小さい子どもたちが遊んだり休憩できるかもしれない。今まで町のなかになかった場所ができるのはよかったですね。あれもできる、これもできるっていうことを考えるのが本当に愉しみです。畳の部屋っていうのは、ブンシツのおふたりはまったく考えてなかったんですが、今回町の中に作っていただいたというのがよかったです。(畳があることで)小さいお子さんに利用してもらえる機会があるんじゃないかなと気がしてますし、個人的にもあれができるんじゃないか、これができるんじゃないか、といういろんなことが、頭の中での妄想なんですけども、考えております。 M:使いたい像がイメージできるってことですね H:そうですね M:畳なかったんですね H:畳のあるスペースというのは市街地にそういう建物がなかったんです。十日町は着物の町っていうこともあるので、行政の方とか観光協会に聞いてみても、そういうものが欲しかったと言う声はよく聞きました。着物に関わるお祭りもあるので、お客様にも着物を町のなかで着てもらえる場所というのが欲しかったというのは行政側も言ってました。わたしはそれが一番欲しくて、欲しかったものができた、というのが一番うれしかったです。あとはフロアとつながっている大変広いスペースというのは畳だけじゃないということで、かなり色々な使い方ができる可能性を感じています。この場所で何かをやりたいなあというのが、自分のなかではあります。 M:欲しかったものができる、作れる、ってことですかね H:そうですね。 M:ありがとうございました。柳さんはいかがですか? Y:そうですねえ。建物の使い方の準備運動という点では、今までの公共施設においては今までにない作りかただと思ってます。それとは違った視点でこれからの十日町の姿を思い描いてみるとすると…えっとですね。僕の個人的なことになるんですが十日町にずっといると、大抵同じ属性の人が集まってくるんですね。たとえば農業やってる人とか、消防団とか、何とかの会とか。ブンシツに来る人はそれとは違って。三丁目の夕日的なかんじで、ちょっと一見悪そうな人もいたり、カタギの人もいたり、高校生もお母さんもいたり、東京の香りのする人もいたり…バラバラな人たちが集まってくる。しかも特定のなにか大きな目的として集まるのではないので、非常に若い人たちにとって…若い人は今少ないんですが、10代とか20代とかの若い人にとってみれば自分がこれから先に進んでいくにあたって、「あ、こういう生きたかもあるんだ」とか「こういう仕事もあるんだ」みたいな、背中を押してもらえる機会というか場になるじゃないのかなあという期待はしてます。だから、できたら建物ができたあとも、建物の運営のしかたについても今までのがっちり構えた公共施設のような運営のしかたじゃなくて、あそこにいったら誰かいる、とか、気軽にこんな人と話しができる場所だ、みたいななかんじで、老若男女が集えるような場所になれば、十日町の町中も少し変わっていくんじゃないかなあという気がしています。 M:ああ、それはすごく教育的ですね Y:そんな…ぼくはどちらかというと不真面目な人間です(笑) H:決してそんなことはありません(笑) Y:でも僕が高校生の頃っていうのは、なんとなく東京と違って、買い食いができる場所があるわけでもなく、部活動か学校の友達と遊ぶか、ゲームか何かするかとか、選択肢が非常にかぎられていたなかで、そうでない場所が、ここに限らず、何かに出会える場所が町中にいくつかできるというのが非常に喜ばしいのではないかな、と思っています。 M:笹田くんと竹内くんはどうでしょう?作り手ですが。どういう風に使ってもらいたい、とかありますか? というかそれをいま、やっているんだと思うのですが。 S&T:… M:難しいですかね T:どっちに聞いてるんですかね H:ふたりでしょ M:そう T:じゃあ、僕から答えます。僕らは来る前を知らないので、過去っていうのは、聞いた話でしかないんですが、なんとくいろんな方から過去の話を聞く機会が多いので、そうすると結構想像してみたりするんですね。そこからのつながりで未来をどう作っていくか、というようなかんじでいまと過去と未来をつなぐかたちでどう作っていけるか、というのを設計に落とし込もうとはしているんですが、なかなかそれは難しいというか。未来はなかなか想像がつかないことではあるんですが、それでもやっぱり過去からどうここにつなげていくかというのは考えながらやっています。 未来については…どちらかというと、施設がどう使われるかということは、できたときは僕らの手を離れてしまうので、みなさんが僕らが予想もしないような使い方をしてくれたらいいなあと思うのと、施設以外のことでいったら、自分自身が、この仕事が終わってから十日町とどう関わっていくか、ということについてもよく思うんですけど、仕事という感覚でないところもあるので、今後も何かのかたちで関わっていけるといいなあと考えています。 Y:それは婿に入るとか、、 T:それではない(笑) S:仕事でもない T:仕事と生活のあいだ、くらいで何かできるといいのかなあ Y:大地の芸術祭の小へび隊(ボランティア組織)に似てるかもしれないですね。小へび隊を卒業した人も何か定期的にいろんな関わり方で関わってる T:そうですね H:よく妻有ウィルスに感染しますので(笑) 一同:笑 T;もう、してますね。ちょっと M:わたしも弱冠感染してます(笑)。竹内くんにもう少し聞いてもいいですか。笹田くん、次考えておいてくださいね 一同:笑 Y:同じこというな、と(笑) S:はい T:次お前当てるからな、的な M:「過去から学ぶ」と言ったけどどんなことを想像しているのでしょうか H:難しい質問だね T:えっと、具体的に何かというと難しいんですが、設計をするときに、どういう風に使ってもらえるかを考える、というのと実際現地の人に聞くというのがあると思うのですが、地元の人に聞くっていうこと自体が過去から学ぶことに近いのかなと思っていて。地元の人の体験を話してもらうことで擬似的に体験することで設計するような感覚ですかね M:なるほど。もし差し支えなければ具体的なエピソードとか。答えられる範囲で結構ですので。 T:たとえば、今回、近くにあった茶室が取り壊されることになったので、それを移築することになっているんですけど、その残し方を僕らのほうで考えないといけなかったんです。そこで、茶室を使いたい人が結構な人数いたので、なんでその人たちが茶室を残したいと思うのか、という一方で全部丸々を残すわけにはいかなかったので、残したいという気持ちのなかで、どういう部分が大事なのかっていう部分をこちらで汲み取る必要があったので、いろんな人の話しを聞いて想像して…しました M:なるほど。リサーチを編集して、設計にしたんですね T:うん。そうかもしれない M:ありがとうございます。では笹田くん S:えっと、僕の場合は、あえて設計というのと直結ないというのもあるかもしれないけど、まずひとつは部外者として、この仕事にかかわることになり、ここに移り住んできてっていう流れのなかで、まちがどのくらい明るいまちなのか、元気なまちなのかという、そういうところについて、自分で住んでみて、働いてみて、しかも働いている場所をひとが集まれる場所として開放してみんなが集まってくれた、という状況ではじめて知ることができたかなあというのが、ブンシツから見た十日町の「いま」になるのかなあと思っています。当然、東京と比べたらここは小さい地方都市だけど、僕は実際ここにいるほうがまちのエネルギーみたいなものを感じられるような気がしていて、そういう意味では実は「いま」と「未来」が変わらなくてもいいのかなあという気がしていて。いまも元気だし、未来も元気。というのをブンシツで働きながら、まちを観察しながらってかんじですね。で、設計者としては、「住んでいること」で明らかに入ってくる情報量が多くて、そのインプットを本当は言葉なり、言葉でないなりに身体化して設計にしていくんじゃないのかなあと思っているんですけど、今の所、あんまりきちんと言葉になるようなかたちで設計ができているかというと、それは課題かなあと思ってます (十日町:…なにかが起こっているようだがこちらからはよくわからず) M:大丈夫そうですか?ええと、じゃあ次の質問に。 時間大丈夫でしょうか?30分といったのにオーバーしてますが。 Y:あと残りの質問は、、、 H:とトリでしょ S:1.5個 M:そう。1.5個 Y:大丈夫です! M:はい。じゃあ。 ■質問4/「これからできる3つの建物について」 M:自由に話してみてください。二人じゃなくて、みなさんで。私に話すんじゃないかんじじゃないかんじで大丈夫です。おしゃべりしてもらえれば。 Y:そうですね。僕はこれからできる建物について、お二人の性格と青木さんの性格をみていると、うまくまとめてくれるんじゃないのかなと思ってます。それだけの包容力と、機転の利かせ方と、徹夜でもがんばりますっていうオーラは感じているので、それは特に心配はしてないです S:ははは Y:ただ、やっぱりできてからのことですが、ちょっと話しを戻すと、ブンシツで一番大事なのは、いま、二人がここにいるっていうことだと思うんですね。以前二人が一度東京に戻って作業してたときのブンシツの空気というのは随分ちがっていたので。そこにいる人の空気、というのは非常に大切だと思っています。できたあとに、建物の管理をされる人、面倒を見る人、その人たちがどういう風に運営するのかっていうのが非常にこの建物の方向性を決めてくると思うので、そのあたりを行政とかコンサルとかそのあたりで折り合いがまだついてないんじゃなのか、っていうのがちょっと心配なところです。それ以外はわりと僕は楽観してます。 S:ハードルが上がりますね T:運営についてはどうですか H:運営については…すこーし見えてるんですが、お二人…青木さんもいれて三人がこれだけすごくがんばってきてくださっていることに感謝というか、ここに関わっている人たちは青木事務所さんのことが大好きなんですね。いままでまちづくりとかいろいろやってきましたが、ここまで盛り上がったのは、やっぱり青木事務所さんがいたからこそだと思っています。そこのところを、運営側に回るかどうかはまだわかりませんが、もし運営する人が決まったら、伝えていきたい。わたしは伝えていきたいと思っています Y:いまちょうど十日町の町中だと、中央公民館というところを作ってまして、それは所謂普通の設計事務所が作っています。そこは、たぶん市民の人はどんなものができあがるのか、イメージ図以外は共有する場所がないんですね。そういう意味でこちらは、実際に使う人が現場に顔を出しているという非常に珍しい公共の建物の作り方をしていて、それができた後につながっていくと、非常に新しい建物の作り方の事例になるんじゃないかなあという気がしています。 M:そうですね。手ざわりのある公共建築というかんじですね S:うん M:おふたりは。 S:ブンシツという場所で設計をしてることによって、いろんな人が出入りして、いろんなイベントが起こって、場合によっては我々もそこにがっつり関わることもあるし、関わってないこともあるんですが、そういう意味ではできたあとにどういうことが起こるんだろうということが想像しやすい手ざわり感みたいなものがあるのかなあと思っています T:3つの建物ということで、実質僕らが設計してるのは、2つの建物で、実はもうひとつある立体駐車場というのは、僕らの手を離れている部分があって、僕らは基本設計だけを請け負ったというか、そういう契約だったので仕方ないんですが、立体駐車場についても設計の最初の段階では、活動の拠点として使えないかと検討してきていたので、本当はまだ、もう一個できる立体駐車場の可能性についても考えてみたいなあとは思っています。 M:立体駐車場を立体駐車場としてではない使い方をするということですか S:そうですね。一時的に立体駐車場の車を別のところに駐めてもらって、そこでフリーマーケットをやったりとか、そういう広い屋外の使い方ができると面白いなあと思っています M:なるほど。面白そうですね。ちょっと全然話しが飛ぶんですが、いま、職場の近くにある渋谷区の区庁舎が改修で取り壊しになりそうなのですが、そこで行われるさよなら区庁舎イベントが変な盛り上がりを見せてて、面白そうなかんじになりそうなのを今日通りがかりに見たのを思い出しました。全然逆のアプローチなんですが、ブンシツのやっていることはそれを時間を逆回しでやっているのかもしれません。抽象的ですみません S:解体するときは盛り上がるんだけど(ブンシツは)盛り上がって作ってるってこと? Y:そうそう。作ってるときは作ってるときは愛着を持たれなくて、終わるときに愛着持たれるってことが多いけど、この建物のやってることは逆で。 S&H:ああ、なるほど。作る前にね。 Y:逆に壊すときに誰もいなかったらどうしよう(笑) S:できたあとに愛着を持たれなくて(笑) Y:でもそういうところはあるような気はしますね。不思議なかんじですが S:夢を描けてたのかもしれないですね T:過去形? Y:ちょっとお二人に聞きたいのですが、普通公共建築って、使う人の顔が見えないので、どうしても自分たちの理想とか作りたいものを具現化しやすくて、できてから違うってパターンが多々あると思うんですが、今回は逆に使う人の顔が見えているとやっていく中で、自分たちのやっていきたい落とし所と違うところいってしまうことがあるときに理想との折り合いをどうつけて設計しているのかな、というのを聞いてみたいんですが。イライラするな、とかしょうがない、こういうことも起こりうるような、とか。どんなかんじなんでしょう H:ああ、それはいつも気になってた Y:自分の気持ちの整理のつけかた、というか T:理想のもちかたとして、自分のなかからこれがやりたい、こういうものが建てたいという人と、そうじゃない人の2つがあるときに、僕の場合は、それほど我を通してまでも何かをやりたいという気持ちはあまりなれないというか、むしろそうやって作ることは少し恥ずかしい気持ちになってしまうので、なので、いろんな意見が出てくるなかで、自分と思ったことと違うものが出てきたときはむしろ面白いと思うんです。なので、自分が思ってたものが崩れてしまうことも前向きにとらえていこうかなと思ってます。ただまあ、この仕事を始める前まではそれは不安なところでしたね。でもやってみると、そういう意見が出てくるというのが、その場その場での対応というかアドリブ的に自分がどう回していけばいいかというのを考えてながらやっているというかんじです Y:青木さんもそういうかんじなんですか?どうしても建築家っていうと「このひとに頼むとこういうものができる」っていうイメージがあるじゃないですか。よく言うと青木さん自身が新しい取り組みで何かを変えようとしているのかな、というのと、悪くいえば、どんどんこんなことを続けていると個性がなくなっちゃうんじゃないかなあという気もするし。そのへんは青木さんから話しを聞いたりしますか? T:ええと、それに近い話でいうと、なんとなく近くにいて感じるのは、崩れていくことに対しての抵抗というのは、最近の大宮前体育館とか見ていると前よりはないというか、波をどう乗りこなすのかを楽しんでいるかんじがあります。僕らが恐る恐る「こんな意見が出たんですけど」て持って帰ると意外と笑ってたりして(笑)。だから僕らが拍子抜けしちゃうくらい Y:やっぱりちょっと変わってきた。ということですかね。なんか、昔の青木さんの作品は建物をみると「青木さん」てわかるかんじがするから T:ただ、完全に受け入れるというよりは、なにかわけのわからないものに変換して出すようなところは前から変わってないのかなと思います。ときどき、なんかわけのわからないものがあったりするじゃないですか。あれって、多分なにか起こったアクシデントから何か面白い方向に向かわせようとした結果じゃないかなと思います S:そっちに振れるんだ、みたいな M:じゃあトリの質問にすすんでもいいですかね 十日町:はい M:…なんでしたっけ 十日町:笑 Y:笹田さんにとってのブンシツとは○○だ M:そうでした T:情熱大陸みたい(笑) S:なんか、はじめたばかりのころは、通りすがりの人が来てくれたりすると「いらっしゃい、いらっしゃい」みたいなテンションで「何の仕事だろう」とか思いつつ、営業っぽい声色でがんばる、みたいな感じの場所でもあったんですけど、人を招く場所でもあるときもあって。そのあと一度、僕たちが東京に抜けた時期があったときに、気がついてみると完全に僕たちが招かれる立場になってしまったというのはありましたね。招いて招かれる場所というか。僕らが設計するための場所だったものが、気がついたら米食って帰る、みたいな場所になっていたときがあって。いまでも「まちなか晩ごはん」とかでいろんな人が来ていろんな準備をしてもらうんですけど、自分たちが仕事でてんてこ舞いのときとか、気がついたら道子さんが入り口に木を敷いてたりとか。「ここ人が段差でつまづくでしょ」みたいな場所にカスタマイズがされてるってことがあるので、自分がヤモリ(家守)のつもりがヤモられてた、っていう感じもあるかなあと。「したりされたり」ってところ?ですかね Y:前回のブンシツのときに笹田さんと竹内さんが東京に戻ってから、道子さんが企画してくれてお米の食べ比べをするっていうのがあったんですね。たまたま青木さんと二人がこちらにいらっしゃったときに、なぜか、十日町の青木事務所で彼らがおもてなされた、ということがあって。立場が変わった、というお話でした。 M:ああ、いい話ですね S:笑 Y:でも面白いですよね。人様の設計事務所なのに(笑) H:誰の事務所かわからないような人たちが集っていた、という(笑) T:道子さんの事務所になってましたよね。いっとき(笑) M:勝手にあがっていい設計事務所 Y:絶対若い人だとできないよね。これ。怖くて S:ああ、上司が若い人だと。 Y:そう、青木さんくらいの経歴だから。余裕がないとできない H:まあ、普通できないでしょう M:ありがとうございました (了) ―――――――――――――――――――――――― #本インタビューはパソコンを介して、音声トラブル(?)のために十日町の声は聞こえるけど、東京の声は聞こえないかたちとなり、向坊がテキストで書いたものをブンシツの竹内さんが音読、みなさんが音声で答える、という形式で行われた。
世田谷区三宿での期間限定週末画廊を経た六本木への移転計画。三宿では空き店舗を改修し、その場特有のがらんどうの質を活かしつつ、移転後も持ち運べるよう三宿ライトという照明器具をつくった。煌びやかな六本木では、商業的な街の一部が展示空間を介して翻るよう、まわりの質が変異してできた「結び目」としての空間が求められた。 三宿の展示室と同サイズの空間を2つ対に並べ、間に倉庫を挟んでそれらを繋ぎ、平面・断面とも凹型とすることで、各々の直方体が自律性をもったまま、お互いの空気が分け目をもたず染み合う状態となっている。 いずれの天井面にも光源がない点で共通している。ここでの天井は、下からの光を拡散させる反射面である。手前の空間ではロの字型照明が頭上に宙吊りになり、奥の空間では背の高いスタンド式照明が床に置かれ天井を照らす。光源はどこにも見えないが、充満した光によって、雲の中のような影のない空間となる。 2つの空間は抽象度が異なっている。手前の空間は抽象的な面のみで象られ、奥の空間に進むと、家具や設備、窓などの具象物が現れ、ようやくモノの尺度を得る。 展示方法によって、この両空間の光とモノの様相は押し引きしながら変容する。そこにしか現れない現象のような光の箱のなかで、訪れた人は作品と宙ぶらりの状態で同存する。
1)災害が起きることを織り込んで考える 三次市の中心市街地は、中国地方の、瀬戸内海と日本海からほぼ等距離の盆地にある。江戸時代には、石見から尾道まで銀を運ぶために拓かれた街道にあって栄え、妖怪物語『稲生物怪録』の成立など、往時の文化が偲ばれる土地である。 ただ、3本の川がここでうねりながら合流するので、昔からよく水害に見舞われた。1972年夏には、堤防が決壊し市街全域が冠水している。ハザードマップを調べてみれば、この建物の敷地も5mの浸水がありえる、とあった。 そこで、施設全体を5m、持ち上げて建てることを提案した。それではプロポーザルコンペの想定面積6000m2に対して、11000m2近くになり、舞台機構を含め、坪あたり110万円という低い予算に抑えなくてはならなくなるが、それでもなんとか予算内に収まると読んだからだ。 東日本大震災の年だった。夏には紀伊大水害もあった。思い返せば95年にも、阪神・淡路大震災があった。ぼくは、そんな被災地から帰京すると決まって、壊れ、瓦礫の山になった東京の街が、現実の東京の街に二重写しになって見えた。三次でも、申し訳ないけれど、家々が水没し、あたり一面、泥混じりの水面になってしまった荒涼たる風景のなかに、小さな島のように浮かぶ建物の姿が、二重写しになって見えて仕方がなかった。それで、水害時には漕ぎ着き、水が引くまで安心して身を寄せることができる静かに屹立する人工島として、このホールを計画しようと思った。 敷地の周りには、郊外大型店が増殖しつつあった。その散漫でペラペラの風景の背後に、山が穏やかに控えていた。その山の仲間としてつくるのがいいと思った。その意味でも、超然として静かに屹立する建築がいいと思った。 災害はもしかしたら起きる、のではなく、災害は起きる。それを織り込んで建築を考えるようになっていた。 2)余白が公共性を担保する 全体を5m持ち上げることで、下にピロティの空間が生まれる。その基本的な用途は駐車場である。ただし、車で埋まるのは大公演の開催日だけで、日常的には空いているし、また、その天井高は駐車場としての必要以上に高い。つまり、機能的にも、平面的にも、空間的にも、余っている。 この余白を使えば、市を開くことができる。舞台で使う大道具を作ることができる。ダンスや楽器の練習ができる。あるいはただ、たむろすることができる。 余白は、広場というのとはやや異なっている。広場には、皆が集まるための場所という含みがあるからだ。余白には必ずしも皆が集まらなくてもいい。余白は、つまり、広場よりも広い概念で、そこに居てもいい、あるいは居ても怪しまれない、という性質をもった空間である。 旅行に行くと、余白が多いほど町が魅力的なことを実感する。必ずしも真剣に絵を見るわけでもなく、美術館に入る。柔らかい光と豊かな空間と目を愉しませてくれる作品に囲まれ、そこに居ることができる。本屋は、背表紙を追ってしばらく回り歩くことができる。カフェは、少々のお金を払えば、座ってのんびりできる。表向きの機能からはみ出た余白があって、息つくことができる。余白が人を受け入れてくれる。 余白が公共性を担保している、と言ってもいい。残念ながら、基本計画で諸室必要面積を組むとき、こうした余白はカウントしにくい。しかし、公共建築であれば、いや建築一般に、余白が必要だと、ぼくは思っている。 3)表と裏の区別がない小さな町 空中に持ち上げられた市民ホールには、表と裏の区別がない。回廊が巡り、それに面して、ただ大小さまざまな部屋がただ軒を並べている、というつくりである。それらの部屋を、その時々の利用法に沿った組み合わせで使う。それでこの建物を「使い倒す」。そんなことを考えた。 とはいえ、部屋ごとに、基本的な使用法はある。ルーム1から5が楽屋、スタジオ1から8が練習室で、空間の大小や仕様の違いがある。しかし、大ホール、サロンホール、ホワイエを含め、どれもが直方体の「部屋」としてつくられている。大ホールを取り巻く天井の高い大容積の空間としてつくられるのが常のホワイエも、ここでは、他から切り離し、独立した部屋として使えるようにしてつくられている。 各空間を部屋としてつくることで、一つの用途に限定せず、いろいろな使い方ができる。部屋の組み合わせ次第で、市民ホール全体を何通りにも変えて使える。 たとえば、オーケストラや合唱団が入る公演の場合は、ルームだけでなく、スタジオまで楽屋として使う。足りなければ、サロンホールも控室として使う。逆に、サロンホールを公演に使うときは、スタジオが控室になる。たいてい、スタジオ7と8が使われるだろう。でも、複数の団体が出演するときは、ルームまで控室のゾーンを増やす。付属する倉庫から椅子を出せば、自然採光のとられたその倉庫も控室になる。 回廊は、通路であると同時に「溜まり」、つまりロビーの機能も担っている。だから、面する部屋にあわせて幅が微妙に違う。そんな回廊がぐるり一周、表も裏もなくまわる。いわば、道に沿って建物が並ぶ小さな町のようでもある。地方都市のこういう施設を使うのは、地元の人たちがほとんどだから、建物を使い倒すためには、町の延長としてつくるのがいいと考えたのである。出演者・主催者ゾーンを区切りたければ、回廊に結界を置けばいい。年に数回の、そんなときのために、普段、町のなかに大きく立ちはだかる閉まった空間をつくる必要はないと考えた。 エネルギーをできるかぎり使わないつくりにしておかなければ、使い倒せない。それで、普通なら自然採光のない奥に置かれるトイレ、給湯室、洗濯室、シャワー室などを、もっとも明るいところに置く。小さな楽屋も自然採光にする。回廊は空調しない。中間期には窓が開けられるようにし、網戸を設ける。回廊は、面する部屋の排熱で、外よりはずっと快適な空間になる。夏期は、大ホール横のバックヤード階段を煙突効果に利用する。こうすることで、省エネになるだけでなく、仮に災害時に電源喪失しても、最低限の環境が担保される「ベーシックな建築」になる。 こうした回廊は、今までのホール建築のロビーとは大いに異なる「人の居方」を生む。建物のなかというよりは、町角に佇むような、そんな居方が生まれる、と思う。 この表と裏を設けない回廊型の平面計画は、ホール建築として、おそらく今まで実現されたことがなかった。しかし、地方都市のホール建築のひとつのビルディング・タイプになっていい、と思う。 4)西洋音楽にも使える、神楽のためのホール 三次は、神楽が盛んな土地柄である。神楽が、よそゆきの「芸術」ではなく、生活の一部になっている。それで、大ホールの基本的な平面形を、日本の伝統的な劇場形式にのっとって、桟敷のある四角い平面とした。 座席数は固定席で1006席だが、日常的には、平土間604席だけを使う。そういうときでも、寂しい雰囲気にならないようにするために、2階桟敷席数を減らし、3階席を増やした。村野藤吾の日生劇場のつくりである。 最良の音響を得るために、永田音響の意見をよく聞いた。その上で、できる限り、客席を舞台に近づけた。実は、聴覚的に求められることと、視覚的に求められることは、驚くほどぶつかる。だから、多くの場合、音響の意見は、一部しか叶えられない。しかし、このホールでは、ほとんどすべてを受け入れた。その上で、日本の伝統的な出し物にも、西洋の、あるいは現代の舞台にも合うような空間にした。 仕込み時の照明用電気使用量も馬鹿にならない。それで、客席にハイサイドライトを設けた。そのおかげで、ホール天井裏にも自然採光されることになり、通常暗く危険なシーリングスポット室周辺も明るい空間になった。 この施設の部屋はどこも、躯体のコンクリートに必要に応じて仕上げを足す、というつくりでできている。ハレの場である大ホールも、それは変わらない。 5)ナカミとウツワの動的状態 人々の生活というナカミがあって、その生活を支える空間というウツワがある。ナカミがあるからウツワが決まるとも言えるし、ウツワがあるからナカミが形を持てるとも言える。どちらが先かは、鶏と卵の関係と同じことである。 大災害が起きると、ウツワが壊れて、ナカミが裸になる。それでもう一度、ウツワをつくる必要がでてきて、改めてナカミを見つめることになる。今までのウツワのままでほんとうに良いのか。いや、そもそもどんなナカミをしているのか?関東大震災を契機にそのことを切実な思いで考えたのが、たぶん、今和次郎の考現学だろう。本来は、大災害後だけでなく、常に、そういう反省が必要だ。その反省を受けて、カタチをつくりかえる。そのカタチに合ったナカミを考える。そんな動的状態にあるのが、まともな社会や建築のあり方だと思う。 その動きが今、膠着している。ニーズという言葉を聞くのが増えたことで、それがわかる。ニーズがあってそれに応えるサービスがある。それはその通りのことだが、そういう言い方をするとき、ついつい、カタチがあることでナカミが生まれる、というその逆の方向も必要なことを忘れられている。 公共建築を設計するときに行われる市民ワークショップは、ナカミとカタチの関係を揺り動かし、その間の生き生きとした関係を取り戻す絶好の機会である。ところが、往々にして、既得権益層しか参加してくれない。あるいは、物言わぬ多数派を掘り起こす努力を怠る。それで、ニーズを受け取るだけの場になってしまう。そもそも、今までのナカミとカタチの蝶番を一度外し、つなぎ改めるには、時間がかかる。基本設計を始める前に、そのために1年くらいは必要ではないだろうか。 虚栄を張るためのホールではなく、日常の延長線上にあるホール。ただし、いつもよりちょっとだけ背筋を伸ばして、背伸びする場所。三次市民ホールで、ぼくたち、カタチ側から投げたのは、そんなホール像だった。そのボールを、ナカミ側と、もっといっぱいやりとりしたかった、というのが本当のところである。 それでも、ある程度の達成はあると思う。ブログをつくって、意見のやりとりを公の場で行った。ワークショップも、もちろんあった。でも、ワークショップに、神楽の関係者は一人も参加してくれなかったので、神楽ができるホール、というのは、設計者からの一方的な目標にとどまっていて、本当に神楽で使ってくれるのかどうか、実は心配だった。 午前中の落成式に続いて、昼から「三次市合併10周年記念式典」が開かれた。1階の「余白」には、市内各地からの出店が縁日のようには並んだ。ホールでは、「三次太鼓」にはじまり、市内の6つの神楽団が次々に登場し、夜まで賑わった。ホッとした。
競技用の体育施設ではなく、もっぱら近隣住民が健康増進のために日常的に利用する施設である。それも必ずしも運動のためだけでなく、散歩がてらちょっと立ち寄って、屋上のはらっぱで憩うようなことも想定されている。周りは成熟した住宅地で、駅からは離れている。元々は小学校だった敷地で、そこが小学校として手狭だったため近くに移転したので、その跡地を利用していてつくられた。 周辺がだいたい2階建ての住宅地なので、建物の高さを低く抑えようとした。アリーナに求められる天井高さは12mほどなので、それを1階に置けば、建物の高さは15mくらいになるし、地下1階に置けば10m、地下2階なら5mになる。選択したのは一番低い、高さ5mに抑えた案である。その代わり、内部には大きな地下空間が隠されることになる。1階はロビーで、地下1階に降りると温水プール、地下2階まで降りるとアリーナをはじめ、トレーニング・ジム、武道場、多目的体育室がある。 低層のボリュームは、周りの住宅地のスケール感に近づけようとして、2つの楕円形平面のボリュームに分けられている。外壁から角をなくすことで、死角を減らし、誰もが四六時中、敷地をつっきって通れるようにしている。敷地の周辺には柵がない。中央に、4本の大銀杏の木があるが、これは元々、小学校の校庭正面にあったのをそのまま残したもの。元々あった小学校に通った人たちにとって、忘れられない存在であるはずであるので、これもひとつの重要な建築要素として、敷地配置計画を進めた。
現実を生け捕りにするには 建築をバラバラなモノとコトに向かって開くこと 不測の事態 プロポーザル・コンペがあると聞いて,建設予定地に行ってみたら,成熟した住宅地のなかの小学校だった.塀のすぐ内側にはソメイヨシノや青桐やヒマラヤ杉が大きく育っていて,それはそれで緑があふれるばかりのすばらしい環境だった.しかし,4周を塀で囲われているだけでなく, 4階建ての校舎が敷地の2辺に沿ってL字型に建っていたので,閉鎖的で,ちょっと暗い感じがあった.それで,建物の高さを抑えるだけでなく,建物をできるかぎり分散させ,敷地全体を公園のような感じにして,風通しを良くするのがいいと思った.こんな素朴な感想から始まった「杉並区大宮前体育館」(42頁)であるが,最終的には,高さ5mの楕円形平面の建物が3棟,つまり,エントランス棟,アリーナ棟,プール棟を分棟して配置する案にして提出した.それ自体が地下へのトップライトとしても機能するエントランス棟から入って,地下1階に降りるとプール,地下2階まで降りるとアリーナがある,というシンプルな構成の提案である. この案が受け入れられ,設計者として選ばれ,初めて小学校に入れてもらって,しかし驚いた.外からまったく見えなかった校庭の校舎側に,4本の大銀杏の木が並んでいたのだ.中央2本の間には,朝礼台さえ置かれている.この小学校の出身者なら誰しも,きっとこの大銀杏を目にしたとたん,学童だったときに見た朝礼の景色をまざまざと思い出すことだろう.そんな木をどうして切れよう.そう思って,案内してくれていた役所の方に「切れませんよね」と言うと,「切らなくては,建物,できないでしょ」と返された.それにちょっとカチンと来たものだから,その場で「いや,残します」と宣言して,事務所に戻って図面と照合したら,銀杏の木の位置がエントランス棟の位置がぴったり一致していた.4本の大銀杏を残せば,エントランス棟はつくれない.エントランス棟をつくるなら,4本の大銀杏は切らざるをえない.設計がはじまってから起きた最初の不測の事態である. その頃,類似施設もいくつか見学した.役所から先方の担当者に連絡を入れてもらって,役所の担当者と一緒に見に行くと,裏方も見せてもらえるし,使っているなかで気づいた不都合や利用者のクレームなど,あまり表に出したくないような様々なことを,「いい施設を増やしてほしいからねえ」と,懇切丁寧に教えてくださる.これがすごく勉強になって,たとえばほとんどのアリーナには,自然光を採るのと自然換気を可能にするための高窓が回っているのだが,窓は開けたことがなく,いつも暗幕を引きっぱなしだということがわかった.窓を開けておけば,アリーナ内の音が周辺に漏れ,苦情の電話が絶えないし,直射光は.ボールやシャトルが見にくくなるので御法度になっている,という.アリーナは遮音性能が高いブラックボックスとしてつくることが,現実には望まれているのだった.いくつか回るだけでも,設計の前提として考え直さなくてはならないことが,数多く出てきた.これが,設計がはじまってから起きた2番目の不測の事態である. こうなると当然,プロポーザル・コンペで考えたことを遡っていって,かなり大元のところから案を練り直さなければならなくなる.まず4本の大銀杏を残すため,エントランス棟をなくして,3棟の分散を2棟に減らす,そうなると,エントランス機能は,プール棟かアリーナ棟に受け持ってもらわなくてはならなくなるのだが,アリーナはブラックボックスが良いことがわかったので,アリーナを中央に置いて,その周りにぐるり一周ロビー空間を回すことにした.そうすることで,エントランス機能をアリーナ棟に吸収できる.ただそれでは,地下2階に自然光がまったく落ちてこないので,アリーナのボリュームの周りにスリットを開ける. プロポーザル・コンペ案で提案したことで残ったのは,地下2階まで掘り込んで,地上に出るところを低層の楕円平面のボリュームとする,という考え方だけだった. 仮設どまりの全体性 要項を読み込んで,設計条件を落としなく満たすように案をつくる.ところが,いざ実際の設計がはじまり,関係者に会って話をいろいろ聞いてみると,実際に求められていることと要項に書かれていたこととがだいぶ違っているのがわかる.これは致し方ないことで,非公式な要望,曖昧な希望,周辺の人たちの想いなど,気持ちの問題も含めてすべての条件を言葉で表現できるまでに明確に確定することなど,そうそうできるものではないのだ.与件として与えられていた敷地の物理的な条件だって,蓋を開けてみたらずいぶん違うということも,まあ,これはあまり多くはないが,ある. そういう場合にどうするかと言えば,もう一度,案の大元まで遡って案をつくり直すわけだ.「青森県立美術館」(本誌0609)のときもそうだし,この「杉並区大宮前体育館」のときもそう.気に入っていた案を破棄するのはつらいことだが,与えられた与件すべてに,できるだけ応えたいと思えば,やり直さざるをえない.ウィキペディアによれば,デザインとは「ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い,それを様々な媒体に応じて表現すること」とある.問題が変われば,解決方法も変わる.だから,解き直すのが当然だと思うのだが,「案が変わると,コンペで落ちた人たちに申し立てがつかない」と,ときに問題にされる.その理屈もわからないわけではないが,そもそも人間という生身のための建築ではないだろうか. ともかく,こうしてプロポーザル案を練り直し,基本設計をまとめ,実施設計に進み,2010年の3月の末,設計が終わる.続いて着工,と思っていたら,かつて設計内容を精査する時間がなかったために現場段階で問題続出ということがあったということで,1年かけて,設計をもう一度,関係者と膝を突き合わせて「見直す」ことになった.見直せば,いろいろ新たな問題が出てくる.判断に迷うたびに,意見を聞きに,また類似施設を訪ねて回る. プールがいちばん難しい.実施設計が終わった段階では,プール函体はステンレスシートに塗装の仕上げだったのだが,調べていくと,塗装層が剥離して怪我をしたという事故があったことがわかってきて,実施設計内容を改善することになる. しかし,どの選択肢も一長一短.結局は,ビニル系のシートを貼りまわすことになるのだが,実はパーフェクトの方法なんてない.こうしている間に,どんどん細部が,設計のときに意図していたことからずれていって,バラバラになってくる.収拾がつかない.もしかしたら,また大元にまで遡って案をつくり直すべきなのかもしれない,という気分になってくる. これで完成と思った案が,先に進むと,その案の前提になっていたコトやモノが変わったり,増えたりする.それでもう一度,案を組み立て直すと,また前提が変わる.それでまた案を組み立て直す.建物を束ねる全体性が確定しない.切りがない.いつまで経っても,全体性は仮設どまりのままだ. しかし,よくよく考えてみれば,そもそもこの種の施設では,毎日のように,パウチッコでラミネートされた注意書きが,壁面に増殖していくものだ.思いがけない備品が,その時々の思いつきで入ってくる.つまり竣工後も,想定外のことが数多く起きるわけで,となれば,全体性は永遠に仮設にとどままったままになってしまうのではないか.さて一体,どうしたらいいのか? 杉戸洋さんと一緒に展覧会を考えてみた そんな割り切れない気持ちになっていたちょうどその頃,ぼくの事務所で設計した青森県立美術館がそろそろ5周年を迎えるということで,個展開催の打診があった.それで考えてみたのだが,美術館の建築そのものが,ぼくにとってはすでに「作品」ののだから,なにか他のものを展示するより,目の前にある空間を見てもらう展覧会がいい,と思った.ただ,美術館とは展覧会が開かれているときが本来であって,空っぽの美術館は本当の姿ではない.だから,そこで展覧会が行われている美術館を見せるところの展覧会,というややこしい企画になってしまう.それを一人でやっては,自作自演もいいところなので,一人,作家を選ばせてもらって,その作家と一緒に,この美術館をテーマにして展覧会をつくっていきたい,と思った. その作家として,杉戸洋さんにお願いした.特に面識があったわけではない.ただ,ぼくの事務所で設計した住宅ができたとき,クライアントの関係で,竣工間際にその住宅の現場で鉢合わせ,案内したことがある。その杉戸さん,回りながら,いちいち文句を言っていた.踊り場の奥行きが5cm足りなくないか?あの窓,正方形だと落ち着かなくないか?このテラスには蛇口がいるのではないか?この壁は,もう少し左にあった方がよくないか?面と向かって,そこまで言われたのは初めてのこと.でも言われた内容はともかく,空間に敏感に反応できるすごい人だと思った.彼の作品も好きなことだし,ならば,この人と一緒に,改めてこの建物について考えてみたらどうだろう,きっと刺激的な経験になるのではないか,と思ったのだった.(杉戸さんは後に「左官の親方だとばかり思っていて」と言うのだが,本当とは思えない.) そうして「杉並区大宮前体育館」の「見直し」と平行して,彼とほとんど毎日のようにいろいろ話し合う1年が始まった.展覧会の内容はなかなか決まらなかった.決まったと思ったことも,すぐにひっくりかえって,ふりだしに戻ってしまう.すべてが宙吊り状態のまま.どこまでいっても構想が生まれてこないし,それが話し合われることもない.ひたすら視点を変え,何かを発見し,考え,試してみることの繰り返し.どこをどう通って歩いていくと,心地よい体験になるか.それを考え,動線を決め,そこから導き出されてきたものを詰めてみる.すると,他のもっと心地よい体験が見えて,それで動線を変えると,前にとりあえず決めたことが全部御破算になっている.どうしよう,と考えながら近所を散歩すると,風景のなかに一瞬,答えが見つかる.あるいは,記憶のなかのミースのランゲ邸・エステルス邸における建物と庭の関係に一瞬,答えが見つかる.美術館と近所の風景とミースが繋がる.そんなふうに,いろいろなモノやコトが頭のなかで,繋がったり,ほどけたり.関係するモノやコトが,展覧会の対象になっている青森県立美術館の範囲を越えて,どんどんと増え,広がっていく. 現場で設営をはじめる間際になっても,展覧会の内容を,担当の学芸員にさえ説明できなかった.そしてそこまでいって,ぼくはようやく気がついた.ここでやろうとしているのは,モノとモノの繋がりを仮設し,壊し,また仮設し続けるという,際限なく繰り返される運動のなかの,任意のひとつの切断面を展覧会とする,ということであったのだ. それは,ぼくのそれまでのつくり方とまるで違っていた.ぼくなら,なにかをつくるためには,その前提になっているモノやコトを落としなく集め,それらをうまく繋ぐことができる全体性をまず措定する.そして,その全体性を細部にまで行き渡らせ,緻密に統御されたひとつの構成体にまで育てようとする.その「育てる」という部分が,もしかしたら,つくることの中心かもしれない.だからできるかぎり早い時期に,全体性を措定したい. その全体性が,しかし「杉並区大宮前体育館」では,なかなか確定できず,いつまで経っても仮設にとどまっていた.それが,ぼくにはストレスだったのだ.なのに,杉戸さんは全体性がいつまでも仮設でしかありえないことを,むしろ,楽しんでいるようだった.全体性をつくっては壊し,またつくる.そのなかでモノとモノの繋がり方が,可能態として増え,濃密になっていく.その運動そのものが物事の本筋という姿勢.そう感じると,彼の作品に,完成し切ったという感じがなく,キャンバスを越えてどこかと繋がろうとしているように見える理由が,ちょっとわかった気持ちになってきた. 完成した全体性か,仮設の全体性か? 完成することが大事なのか,流動する物事をそのまま捉えることが大事なのか? アートか建築かというジャンルの違いは置いておいて,つくるということになかに,こういう正反対の姿勢があることに,ぼくには衝撃を受けた. 東日本大震災 設営のため青森に乗り込もうとした矢先の2011年3月11日,東日本大震災が発生する.それで,すでにポスターも刷り上がっていた「青木淳 x 杉戸洋 はっぱとはらっぱ」展はキャンセルになり,南相馬市と災害時相互援助協定を締結していた杉並区の「大宮前体育館」はペンディングになった.もう一度,災害時を想定して設計が見直されることになったのである. 震災は改めて,いつ震災が起きてもおかしくないところにぼくたちは生きていることを,思い起こさせた.先のことは予測がつかないということを胆に銘じなくてはならない.またそのことを前提に物事を考えなくてはならない.そういうことは考えた末の結論というよりは,直感として感じたことだった.その証拠に,震災直後ぼくは,「よくできたデザイン」に突然,虚しさというか白々しさを感じてしまい,設計で細部を詰めていくことが,なんだか人間としてひどく的外れな行いをしているように思えて,一時的ではあったが,設計がまったく手につかなくなってしまったのだった.たぶん当時,同じように感じた人が多かったのではないだろうか. ともかくそんな気持ちに後押しされるように,ぼくは決めた.完成された全体性ではなく,つねに仮設にとどまる全体性を基礎として物事を考えていくことを,である. 全体性が仮設にならざるをえないのは,ひとつには,その全体性によってつなぎとめられるべきモノやコトが流動的だからだ.モノやコトは,数も変わるし,内容も変わる.しかもそれらはそれ自体の勝手で生起し変化するものなのだから,基本的には,設計者のコントロールを越えて,バラバラに存在している. そのバラバラさにもいろいろある.まず,対象とするモノとコトそれ自体のバラバラさがある.プールに求められるものとアリーナに求められるものはもちろん違うし,たまたま植わっていたソメイヨシノと大銀杏の木との間にも特段の関係はない. それから,対象となるモノとコトの集合範囲のバラバラさがある,対象となるのは,なにも敷地のなかだけとは限らないし,その範囲は設計中,広がったり狭まったりして,定まらない.そしてその度ごとに,ひとまとまりになって感じられるモノとコトの集合の像が違う.それら集合の無数の可能態がつくるバラバラさがある. 生起する事態のバラバラさもある.予測していなかったことが,次々に起きる.災害などの突発的な事態,使っていくなかで現れてくる様々なモノとコト.それらが生むまたバラバラなモノとコト. そう,ぼくたちは,対象それぞれのバラバラさ,対象とする項目の範囲のバラバラさ,不測の事態によるバラバラさのなかで生きているのだ. そんな現実のなかで,全体性を措定する.それは当然,そうしたバラバラでしかない現実に対して「閉じる」ことを意味する.なぜなら,全体性が措定されたとたん,その後に出てきた新しいモノやコトがその全体性にうまく合致するかどうかは,もう確率の問題にすぎなくなってしまうからだ.たしかに,たまたまうまく合致することもあるかもしれない.しかし,まるでそぐわないこともある.そぐわないときは,それを無視するか,それを枝葉末節のものと扱うか,それともそれを無理にでもそぐわせるか. いずれにせよ,現実と全体性との間に応力が発生せざるをえない.現実を包含することができるから「全体性」だったのに,全体性は一度措定されたとたんに,現実をいわば抑圧するものになってしまう.結果として,全体性が高い完成度で実現されればされるほど,それは現実のなかで,より排他的に働く. それを開くために,仮設にとどめられた全体性をつくる.つまり,バラバラなモノとコトを,鋳型に入れて矯正するというようなことをしないで,そのバラバラさを生かしたまま,またその後の未確定も含めて,包括できるような全体性をつくる. これはある意味,それまでの自分が向いていた方向の,けっこうな修正だった. 荻窪から学ぶこと 仮設にとどめられた全体性.では,それは具体的には,どのように可能なのだろうか? それは,完成された全体性を,単に「崩す」とか「甘くする」ということではないだろう.バラバラなモノやコトから最大公約数を見つけて,それによって全体をルーズに繋ぐ,ということでもないだろう.そういう妥協ではなく,放っておけば完成の引力に引き寄せられてしまう重力場のなかで,全体性をなんとか仮設程度の完成にとどめる方法.それを見つけたいと思う. そのヒントとしてぼくは今,「杉並区大宮前体育館」の周辺住宅地,荻窪に見ている.なぜなら,すでに荻窪という町自体が,皆が違う方向を向いているのにカオスではない,という事態を達成しているからだ.昭和のはじめの頃には「西の鎌倉,東の荻窪」と呼ばれていたくらいのこの別荘地が今,どういうわけか,いろいろなものが適当に入り混じることができるような,寛容性をもった町にまで育ってきているのだ. まず土地の大きさがバラバラだ.大きいところではたとえば,昭和のはじめから第2次世界大戦にかけて,当時,首相だった近衛文麿が住んでいた「荻外荘」がある.まさに往年の荻窪のスケール感で,その緑豊かな約6,000m2の敷地がそのまま,最近,保存を前提に杉並区に売却されている.かと思えば,分筆に分筆を重ねて,細切れになった小さな区画がある.そして,それら大小の敷地に挟まれるように,東京ではやや大きめの区画の地域が広がっている. 土地の大きさもバラバラなら,その上に建てられている家もバラバラ.ガーデニングを楽しんでいる洋館風の家の隣に,前川國男邸かと見紛う大屋根が鬱蒼とした庭の向こうに見え,そこに芝生のなかのコンクリート打ち放しの住宅が続いていたり.つくられた年代も,様式も,ライフスタイルもバラバラ.本来なら,高級住宅地の「高級」という統一性があるはずだが,実際にはそうでもない.いかにも高級に見える家があり,ぜんぜんそう見えない家がある.苔むした万年塀の家,ブロック塀を築いた家,既製品のアルミのフェンスの家,塀もなにもない家.塀の扱いひとつとっても人それぞれ.集まっているけれど,それぞれが好き勝手,別々のことをしている.この町は,歩いている視点というか解像度ではまったくバラバラで,その間に全体性を見つけることができないのだ. ところが,駅まで歩いて中央線に乗ると,突然,見えてくる解像度が切り替わる.線路が高架になっているからだ.家並みがずっと遠くまで途切れることなく,まるで絨毯のようにどこまでも続いている.個々の家は,その絨毯の毛一本一本だ.全体として見れば,そのすぐ下にある土地の起伏を拾って,ゆったり波打つ滑らかなひとつの表面になっている.その絨毯は,ところどころで,皺が寄っている.皺に見えるのは,幹線道路に添って,高層の建物が建ち並んでいるところだ.のっぺりとした表面と,ゆるやかな土地の起伏,それに幹線道路が表す大きなグリッドパターン.俯瞰すれば,はっきりと全体性が見えてくる. 荻窪の町は,ベクタではなく,ビットマップでできている.解像度を下げると全体性が立ち現れる.しかし,他の解像度を上げるとすべてがバラバラに散らばっていく. 荻窪の町が教えてくれるのは,解像度を切り替えることで,全体性とバラバラさが共存できる,ということだ.ある解像度で見たときには全体性がある.そこに,バラバラに見える解像度のレイヤーが被さる.さまざまな解像度のレイヤーを何重にも被さることで,バラバラさを許容しながら,仮設程度の全体性が可能になるかもしれない.荻窪の町は,そんな可能性を感じさせてくれる. 解像度の異なるレイアーのミルフィーユ. 東日本大震災発生から9ヶ月後の2011年12月,「杉並区大宮前体育館」は,ようやく着工に漕ぎ着く.設計は終わっていたが,もう一度考え直してみたいことが多かった.全体性を完成させるのではなく,バラバラなモノやコト,つまり現実にどう開くことができるのか?その答えを探して,五里霧中のなか手探りで進んだ約2年間に及ぶ現場現場である.それを今振り返れば,たぶん,構成感の脱中心化,ということではなかっただろうか. 全体性をつくるものを普通,構成と呼ぶ.建築の場合で言えば,それは,その建築全体の組織構成の,神の目による捉え方つまり「抽象」のことだ.それは抽象であるから,人の目には見えない.でも,それは建築をつくったり建築を体験する人の想念のなかに,しかと存在する.構成の最たるものがボリュームとボリュームの組み合わせ方だ.建築には,そういう構成あるいは抽象が,少なくとも今のところ,欠かせない.建築をつくるときに,また建築を見るときに,ぼくたちはどうしてもそういう抽象化に引っ張られるからだ.構成感というのは,構成に引っ張られるときの,その引力のことを指す. 「杉並区大宮前体育館」にも当然,構成はあって,その構成という中心に向かう引力場がある.そのままでは完成に近づいてしまう.だからそこに,その引力場が見える解像度のレイアーとは別の解像度のレイアーを被せる.その別のレイアーで,構成による引力場を相殺する.そうすることで,全体性を仮設状態にとどめ,建築を現実に対して開くことができるかもしれない. 「杉並区大宮前体育館」の構成は,遠目の解像度のレイアーで,よく見える.まず,町の中に,周りの住宅と比べればかなり大きなふたつの要素,楕円形平面の平屋がふたつある.どちらも高さ5mほどの低層で,周りの住宅と比べてもさらに低い.一方,内部にはそれとは対照的なスケールアウトした大空間がある.地下8mにまで達する大きな四角い穴が開いていて,そこにまるで太い柄のキノコが生えているかのような構成がある.その太い柄がアリーナのボリュームで,幅24m,長さ35m,高さ12.5mの直方体.そこにキノコの傘のように,楕円形平面の屋根が乗っている.地下深くまで降りて,見上げれば,ローマの大浴場のようだ.低層にすることとアリーナという巨大な空間が必然的に生みだす圧倒的なスケールのコントラストがある. そのレイアーに,町を歩いている人が見る時の解像度のレイヤーを重ねる.町との連続が見えてくる解像度だ.外周サッシを,ひとつひとつの切片がほぼ周りの住宅のスケールの,ジグザクの平面形にする.そのことによって,ガラスを大量に使っているにもかかわらず,壁面としての存在感が際立たってくる.それで,建物が楕円形でできているという構成感や,地下から太い柄のキノコが生えているという構成感が相殺される.周りの家庭が出すゴミ集積場や,バスを待つ人が並ぶことができる東屋や,近隣住民のための備蓄倉庫や消防団倉庫を,敷地内に設ける.隣に建つポストモダン風な家とよく似合う,大きなJをひっくり返した形の吸気塔と排気塔を設ける.またすでにそこには,桜や青桐などの木々や,中央の4本の大銀杏もある.この解像度のレイアーでは,敷地を飛び越えて,町レベルでのバラバラなモノやコトを,そのバラバラさのままに生け捕りにできる. そこに,空間ごとのバラバラさが見えてくる解像度のレイヤーを重ねる.そのバラバラさを維持するために,それぞれの空間の大きさとその用途の重要度から生まれてくるヒエラルキーを消しておく.一番大きく,またこの施設のメインであるアリーナからは,ただでさえ発生してしまうオーラを慎重に弱める.廊下や階段などの動線空間は,単なる機能的な交通空間にやせ細らないように強める.屋上の緑化広場は,付け足しにならないよう,むしろ特権的な「はらっぱ」になるよう気をつかう.その上で,それぞれの空間ごとに求められることに真正面から応える.それで,空間が本当にバラバラになる. そこに今度は逆に,全体性が見えてくる解像度のレイアーを重ねる.それがこの建物全体にわたって採用されている柱の面取りと梁両端のハンチである.柱に面取りをしているのは一義的には,こうしたスポーツ施設では「ピン角」が危ないからだが,それと同時に,面取りがあれば梁や壁が面取り分オフセットされ真壁的になり,その面取りの大きさが空間全体にわたっての表情を決めてしまう,ということがある.こういうディテールレベルの解像度が,全体にわたる表情を決定づける.小さなスパンでの梁のハンチは構造計画的には必要がない.しかし,空間全体の表情を補完する強力な要素だ. そこに,バラバラさを強調しながらも,その反対にそれらの間の構成=バランスによって全体性をもたらす解像度のレイアーを重ねる.まず色のレイヤーがある.白,ベージュ,水色,緑,黄,赤.さまざまな色をそれぞれに際立たせつつ,全体にはその空間的配置のバランスによって,ある種の抽象性が与える.素材のレイヤーがある.白いムラのコンクリート,普通のコンクリート,亜鉛ドブ浸け,アルポリック,白いオーガンジー,アクリル,フローリング,ビニル系弾性シート,etc.それら質感,光沢も,高級感も違うバラバラなものを,バラバラでありながらも,同時に全体の統一も感じられるように配置する. こうして,指向性の異なるさまざまな解像度のレイヤーをミルフィーユ状に重ねることで,単に構成を消すという以上に,その消すという操作も消して,存在はしているけれど,構成がそもそもあることさえ感じさせないところまで追い込む. そうやって実際に見えてくるのは,全体性に支配されないバラバラのモノやコトが,なんの変哲もなく自然に配置されているという様態だろう.でも,そこからはなんとなく,このプロジェクト特有の香りが立ち上がってくるとしたら,それが理想ではないだろうか. こうして,使われてからの未確定を含めて,バラバラなものをそのバラバラさのまま生け捕りにすることができる程度にまで,その「構成」そのものは壊さないまま,しかしそれを中和し,その支配力を奪うことが,さて,できたのかどうか. ともかく,ぼくはこの建物で,排他的にならざるを得ない完成された全体性から,できるだけ遠ざかろうとして,直面する無数の独立項に開かれた建築のあり方を探ろうとしたのだった.そして,それが今のところ,ぼくが思い付く「はらっぱ」のつくり方なのだ. 全体性が先にあるのではなく,バラバラなものが先にある.その認識はもしかしたら,建築を考えていくときに,かなり大きな出発点の違いなのかもしれない,と思う. 構成感が消えてフラットな場が生まれれば,設計はパフュームを調合に近づいていくような気がする. 引き渡し早々,ぼくたちが預かり知らないところでソファやテーブルが持ち込まれ,館内に,誰がデザインして誰がどうつくったのかわからない「Sports Café すぎなみ」が,いつの間にかオープンしていた.天気がいい日なら,そこでアイスを買って屋上で食べるのが気持ちいいだろう.壁には,やっぱり,張り紙がされている.(青木淳)
松屋銀座内の北側コーナー部1・2階に位置していたルイ・ヴィトンの店舗を、内部は3階まで、外部ファサードは8階まで拡張改装する計画である。 ファサードを設計するにあたり、既存下地鉄骨を活かすため、既存松屋ファサードと同様の、奥行き236.5mm、重量40kg/㎡以内という条件が与えられた。40kg/㎡とはフラットなガラス1枚+アルミパネル1枚の重さとほぼ同じである。使用できる素材は限られていた。 ファサードは前面のスターパネルと、滑らかなボール状のへこみを施したバックパネルで構成されている。どちらもアルミの塗装である。大小5種類のユニットは同様の外観だが、鋳造や絞り成形などサイズによって異なる製作方法が選択され、一つ一つが手仕事により丹念に仕上げられた。また、バックパネルの目地は外から見えぬよう、常にスターパネルと重なる位置を斜め45°に走っている。垂直水平な辺のない各パネルは端部ではなく内側で自重を支える特別な機構となった。繊細なレリーフのような表情はこんな職人技とテクニカルな後ろ盾によって初めて成立している。 バックパネルからガラスを隔てさらに内部側にはLED照明が組込まれている。夜、その間接光はボール状のへこみに広がって、ルイ・ヴィトンのフラワーモチーフを思わせる光のパターンを浮かび上がらせる。全体では高さ31mの光のグラデーションとなる。煌々と明るさを増す銀座の夜景において、震災以降の設計ということもあり、慎ましく上品な明るさを目指した。
赤と青の線 は、「あいちトリエンナーレ2013」のテーマ「揺れる大地一われわれはどこに立っているか」を、盤石に見える私たちの周りの環境もまた常にその裏に別の様相を併せ持っているということに気付くこと、というように読み替え、それを名古屋市美術館を対象として具体的に実践した「仮設的リノベーション」である。まず館への入口を、通常の北側から南側に反転させている。これは、現在、「裏」のような雰囲気になっている館の南を「表」に変えることであり、また作品鑑賞動線を、建物の北側→西側→南側→室内の展示室→再び南側→東側→北側,という、建物の外側にも広がる大回りの体験に変えることでもある。室内の展示室では、通常は奥にある南から直接入るようにし、普段は前室的に使われる空間を最奥にある祭壇的な空間に変え、吹き抜けに設けられた螺旋階段によっていつもとは違う方法で2階に至るようにし、最後は「監視員控室」を通って、外部避難階段から退出することとし、全体にわたって通常の体験とは大きく異なるものにしている.また、 1階展示室では暗がりの中に中央の軸線を際立たせる一方、2階展示室では、明るい自然光の下、色とりどりのチュールによる透過面を重ね合わせ、既存展示室空間に潜んだ幾何学的秩序を浮かび上がらせている.名古屋市美術館は,南北方向を主軸として、それに北西に触れた副軸を加えた2本の軸線によって秩序付けられているのだが、その一方でその秩序が不連続になったり、ところどころで「脱臼」させられているので、全体としては軸線的な感覚が消去されている。はっきりと軸線があるが、それが感じられない.おそらくは意図的なこの矛盾が,この建築のひとつの大きな特徴であり、その特徴を基点とする、黒川紀章設計によるこのポストモダニズムを代表する建築の体験の再組織化が,<赤と青の線>である.
私たちは、機能的にすぐれた施設であるとともに、緑豊かで広大な公園を有し、高級居住地である虹橋地区 Hongqiao Areaの将来像にふさわしいlandmarkをつくりだそうとしました。 その姿は、ゆったりと流れる巨大な滝を思わせるもので、上空からのわずかに柔らかくうねる静かな流れが、足下でgently billow outwardして、一度大きく広がった上で、最後に豊かなcataractとなって、bedrockに落ちるという、ひとつの連続的な動きをもったものになっています。こうして、この建物は、周辺を取り囲む男性的な幾何学的・直線的な都市構造物のなかで、それらとコントラストをもって、女性的な優雅さと柔らかさを湛え、目の前の公園の自然との親和性を強調しています。最上部から最下部まで連続するのは、しぶき(spray)を思わせるvertical finで、それらの反射が、天候の変化、太陽の運行、また歩く人の位置によって、建物全体を、刻々と変化し、呼吸するものとします。vertical finは、夜には灯され、その流れ・運動が夜空に浮かびます。 外観がverticalなcurved surfaceを見せるのに対して、下層のcataractの内部は、それぞれ異なったcurveを見せる4本のcurved loopが、中央のatriumを取り囲みながらhorizontallyに重なった空間になっています。Atriumの頭上の部分では、滝のようなskinがガラスに切り替り、自然光をふんだんに取り込む大きなトップライトになっています。Atriumに面しては、seasonalな演出が可能な“event space”と、エレベータ列の背面を利用した”image fall”が、その空間にanimateしています。
全体構成を決める与条件として大きな3つのことがあった。風水でブランニングを決めること、延床面積が100年あること、地下水位が高くさらに敷地北側で地盤沈下が起きていること、である。そこでまず、どの方位に何の部屋が吉でメなのかが分かるように、風水方位を図面に描いてその通りにプランニングした。そして地盤沈下への配慮から地下空間をつくることを避け、その結果、北側隣地と距離を置くかたちで南側いっぱいに日影規制にかからないよう高さを10m以下ぎりぎりまで立ち上げることになった。また敷地が車通りの激しい道路二面に面していることから、騒音対策とプライバシー確保のために極力開口を少なくした。こうして大きく無骨なコンクリートの塊が立ち上がった。外壁は道路に合わせて青味がかかった黒い漆喰塗装とし、ルーバーは電柱に合わせてコンクリート無塗装、大走りはごみ収集場の青い防護ネットから砕石青塗装とした。これらテクスチャーの選択ではできる限り演出的でなく、目立たないあり方を目指した。 窓空間をもって外と上手に付き合うこと そして窓である。住宅には窓が必要である。強引にいってしまえば、窓により外とのつながりをつくることで住宅になる、と考えることもできる。使い古された言葉として、住宅を外に「開く」「閉じる」という二分法がある。しかし外壁に直接窓を開けても、外が騒音の激しい道路だったり隣地の窓と向かい合ってしまうと、「開く」ことがむしろ外との軋轢を生み出してしまう。またその一方で、「閉じる」ことを選択し中庭やライトコートに向って窓を開けてみても、そのつくられた風景や風の抜けない不健全な環境に辟易することになってしまう場合がある。「開く」「閉じる」のような一方的でダイレクトな外とのつながり方ではどうしても齟齬が起きてしまうのだ。そんなことが住宅密集地で起こっている。そこで、外に対して短絡的に「開く」「閉じる」のではなく、「フィルターを通して開く」。その方法として、窓を空間化してみることにした。外壁の開口部に防犯、視線のカット、風向板の役割として、超高強度コンクリートのPCルーバーを取り付ける。その内側に防虫の役割としてチュールでつくった白いカーテン網戸を、そこから延焼ラインにかからない位置に止水、防音の役割として大型木製サッシを取り付ける。すべての開口部にこうした窓空間をつくる。さらにこの窓空間を常にふたつの部屋に接するように配置してみる。すると、外的要素(光、雨、音、風、熱、虫など)がこの空間を通り、濾過、純化されることで、都心でありながらもまるで田舎にいるような健やかな内部空間ができ上がった。これは単に「開く」ことで得られる外との直線的なつながりをもった外向的な空間ではなく、「閉じる」ことで得られる独りよがりで内向的な空間でもない。外と対等に向き合い、上手に付き合うことによってはじめて得られる、臆することなく自由な振舞いができる空間である。そんな空間を、窓空間がつくり出してくれた。
The facade of Louis Vuitton Fukuoka Store is inspired by the calm and shining ripples of the Hakata bay. Gentle, shimmering lights resemble the scene drawn by Hiroshige Utagawa in his Japanese woodblock print named "Chikuzen Hakozaki kaichu no michi". This facade design brings the nature which changes over time into the artificial landscape. When you gaze at the supple, wavering lights on the facade, a mirage of "damier pattern" will appear. Fukuoka Tenjin Store, situated in a city closest to the asian/european continent, possesses the local ray of light while seeming to dream of the far away birthplace of Louis Vuitton.
日を受けて穏やかに映える博多湾のさざ波をイメージして設計されました。その光の優しい戯れは、ちょうど歌川広重の「筑前筥崎海中の道」(「六十余州名所図会」より)に描かれた景色のようです。このデザインは、人為的な街に、時間とともに変化する自然を導きます。ファサードの、たゆたう光のさざ波を凝視すれば、そこに蜃気楼のように、<ダミエ・パターン>が浮かびあがります。日本の、もっとも大陸に近い都市にあって、その風土の光を持ちながら、遠くルイ・ヴィトンの生まれた土地を夢見るかのようです。
東京郊外の成熟したベッドタウンに設計された、46m2から132m2までの15戸の住居からなる2層の集合住宅である。全体としては、周辺にはわずかな余地しか残さず、ほぼ敷地一杯に建て、それでも外周側壁面に設けられた開口から、隣地側からの採光と通風を期待するという、高価な地価に起因する日本の都市部の住居形式を踏襲している。と同時に、住戸の幅を狭めつつ、その内周側壁面にも開口を設け、そこからも採光と通風を期待することで、各住戸の居室に両面採光・通風を可能にしている。中庭は、その目的で結果として生まれたもので、それは共有の庭というよりも、住戸から眺められるべき架空の都市風景としてデザインされている。
沖縄県の小さな島にあるリゾートホテルのプロジェクト。海辺に程近い自然公園内に位置し、15の客室からなる。敷地は珊瑚礁が堆積した琉球石灰岩と呼ばれている岩盤上にある。この岩盤は海水によって浸食されて大小数多くの穴があくポーラスな地形であったが、設計者は、その造形を最初の着想としている。そこで、いくつもの円弧が重なって、ボリュームを掻き取ったような形からスタディが始まり、最終的には円弧の内側の空間(プライベートガーデン)と、その残余空間(客室)の図と地的な全体構成になっていった。各客室は円弧とその残余空間によって構成されているが、人はその間を移動したり、自分がそのときいる空間の反対側の空間に意識を向けたりすることで、空間の主従関係を意識の上で逆転させてしまう。ここでは、人間のそうした意識に対応し、図と地的な構成のつくり出す空間の関係を流動的なものにする試みがなされようとしている。
すべてがそこにあったかのように築50年にもなるビルの、倉庫と作業室として使用されていた地下1階と1階をギャラリーに改装した。1階にもともとあった入口は塞ぎ、そこを、既存の外壁で使われている石に近いパターンを持つ茶色い影石で仕上げた。新しいエントランスは、建物脇の,道路から少し奥まったところに新設した。1階のミーティングルームと地下のギャラリーへと降りる階段との間には、ハンチのある梁・柱に合わせて、新しくスチールサッシをはめた、その割りは、大きくも小さくも感じないように、その仕上げは表面がざらざらとした質感の、少しだけ光沢のあるグレーの塗装にした。ガラスにはスモークのフィルムを貼り、各部屋の照明の違いにより見え方が異なるようにした。そのため、時に黒い鏡のような表情を見せたり、また,ミーティングルームから階段側を見た時には、白い壁は少しトーンの落ちた、青いグレーとなって見えるようになった。既存の階段には、裏側から新しく1.2mmのスチールパネルを貼り、サッシと同様のグレーの塗装で一体的に仕上げた。地下のギャラリーでは、照明を天井直付けとし、照明の位置を場所ごとに調整することにより、部屋全体の照度が均一になるよう計画した。天井が高いので、照明がより多く必要とされるが、蛍光灯の数が多くなりすぎないよう、光束の大きな蛍光灯を使用した。既存と接する新しいものの形態や仕上げや配置によって、すべてがもともとそこにあったかのような、あるいは、すべてが同時に新しくつくられたかのような、「穏やか」な状態になるように努めた。
The SIA Aoyama Building is a high-rise office for rent that stands in the middle of the commercial district Omotesando, which houses increasing number of brand boutiques, as well as the terminal rail station Shibuya. The area contains a mix of residential and office blocks. Therefore, a building was designed that does not classify into either of those categories; a tower-like monolith with a seamless smooth surface. The building itself is 64m high, but consists of 9 stories from the ground floor, with a relatively high ceiling reaching to 4.9m. As a result, even with a minimized window area, sufficient natural light flows consistently to the full depth of the building. There are 7 types of windows, each quadrate with sides of 1.15m, 1.45m, 1.6m, 1.75m, 1.9m, 2.05m and 2.2m. They are placed methodologically, but at the same time in disarray, like a freehand drawing intended to be as accurate as possible.
SIA青山ビルディング は、ブランドが多く進出する商業地域である表参道と、大きなターミナル駅である渋谷の、ほぼ中間に位置する高層賃貸オフィスである。周辺は、商業施設と住居が混じり合った地区で、そのどちらにも属さない、つるんとした表面をもつモノリシックな塔状の建物として設計されている。高さ64mの建物であるが、地上9階建てで、各階の天井高は4.9mと高い。そのため、窓面積を抑えながらも、部屋の奥まで均一に十分な自然光を導けている。窓は、1.15m、1.45m、1.6m、1.75m、1.9m、2.05m、2.2mを一辺とする7種類の大きさの正方形窓である。それらが、できる限りきちんと描こうとしたフリーハンドくらいに、秩序があると同時に無秩序に配置されている。 The SIA Aoyama Building is a high-rise office for rent that stands in the middle of the commercial district Omotesando, which houses increasing number of brand boutiques, as well as the terminal rail station Shibuya. The area contains a mix of residential and office blocks. Therefore, a building was designed that does not classify into either of those categories; a tower-like monolith with a seamless smooth surface. The building itself is 64m high, but consists of 9 stories from the ground floor, with a relatively high ceiling reaching to 4.9m. As a result, even with a minimized window area, sufficient natural light flows consistently to the full depth of the building. There are 7 types of windows, each quadrate with sides of 1.15m, 1.45m, 1.6m, 1.75m, 1.9m, 2.05m and 2.2m. They are placed methodologically, but at the same time in disarray, like a freehand drawing intended to be as accurate as possible.
N is a house in a new town in a Tokyo suburb. Such new towns are “ideal residential areas”, abstract in character, that spring up without any relationship to their geographical or historical context. The houses are in the styles of an imaginary United States or an imaginary Europe. Most are designed and constructed by housing manufactures. N stands in the midst of one such new town, and its design ecolec from that context. It attempts to adapt itselt to the environment; on the outside, it takes on a conversional house-form with a pitched roof similar that of other houses in the area. It even has a chimney, though the object does not actually function as such However, adaptation, though attempted, is not complete. The roof material is a ready-made product widely used in this area, but in no other house is it pure white in color as it is here. The greater part of N, including the living room, is buried below ground and provides a podium on which the wooden house-form rests. The gnerously-scaled spaces in the basement and the smaller-scaled bedrooms situated aboveground are awkwardly juxtaposed. Going up and down, from one set of room to the other, generates precisely that sense of unreality that is peculiar to new towns.
N は、東京郊外のニュータウンに建つ住宅である。こうしたニュータウンの特徴は、その地理的・歴史的文脈と関連なく、頭のなかにしかない観念的な「理想的住宅街」が突如として現実化していることにある。そのため、その様式は想像のなかのアメリカの家であり、また想像のなかのヨーロッパの家である。そしてそれらの多くは、住宅メーカーの商品として設計され、建設されている。Nは、ニュータウンのこうした文脈に寄り添って、その文脈の展開としてデザインされている。外観は、この街に建つほとんどの住宅同様、勾配屋根をもつ家型として、周辺に同化しようとしている。実際にはその用を果たしていない煙突までついている。ただし、そうした同化は「努力目標」であり、完全には同化できていない。屋根の素材はこの街で一般的な既製品であるが、その色は他に例のない純白である。Nは、居間など、過半の空間を地下に埋め、それを基壇としてその上に木造の家型を載せたものである。地下の大きなスケール感の空間と地上の個室などの小さなスケール感の空間が、ぎこちなく並列され、その間を行き来することで生じる感覚は、まさにニュータウン特有の非現実的な感覚である。
都心から近い住宅街にある敷地。駐車場として利用されていたその場所にはとても大きな桜の木があり、そこにアトリエと書斎が一体となった住宅を建てる計画である。 室内の壁には絵を飾ることが想定されている。各部屋の壁の仕様は構造用合板の上にプラスターボードが貼られ、白く塗られている。各部屋の開口部はすべて正方形の、大小様々な、小さいもので300ミリ角、大きなもので3,400ミリ角の大きさによって開けられている。その開口部の枠周囲200ミリはプラスターボードと同じ厚み9ミリのシナ合板でプラスターボードと一体化されて白く塗られている。部屋と部屋の間にある構造材はプラスターボードとシナ合板でできている開口の大きさよりも30ミリほどアフセットした大きな開口としており、各部屋内側の仕上げが9ミリの厚みでその背後にある構造材より張り出した関係となっている。その部屋と部屋の間はグレーに塗られている。扉はそのグレーに塗り込められた部屋と部屋の間に治められている。 各部屋の開口部の位置や大きさは内部からの視点によって決定され、大きな桜の木が部分的に見える場所、空だけが見える場所、隣の部屋の階段が見える場所といったように、その開口部の大きさの差異と位置と隣接する場所により各部屋に異なった内部環境をつくりだしている。また、内部から外部に開けられた開口部と内部から隣の部屋へ開けられた開口の形と枠の仕様を同じとすることで、壁をシンプルな面として取り出し、そこに飾られる絵の背景となるよう考えた。 様々な大きさの開口部をもった様々な大きさの各部屋が連結してY字型のヴォリュームをつくりだし、そのヴォリュームに対して桜の木を囲むようにつくられた塀が一体となり全体の外観として現れている。 そのとても大らかにたっている桜の木のある場所の雰囲気を失うことなく、その雰囲気を生活に取り込みながら、たくさんの絵とともにそこで過ごすことができるとよいと思っている。
J は、部屋が数珠繋ぎになってできている。部屋に開けられているのは、全て正方形の開口である。大小さまざまな正方形の穴が、さまざまな組み合わされ方で、各部屋に散らばっている。正方形の穴は、その向こうの、庭の桜や隣の家の屋根越しの空などの風景を欠きとっている。また、ある穴は隣の部屋の風景を欠きとっている。住宅の外の風景と、住宅のなかの風景が、等価に感じられるようにすることが、この住宅の試みである。それが成功すれば、それぞれの部屋が、海に浮かぶ島のように、周辺を外に囲まれた内の世界になるだろう。ひとつひとつの部屋は、細胞のようなようなものである。と言っても、部屋それぞれには、とりたてて異なった個性はない。にもかかわらず、それを細胞に感じさせるのは、正方形に限定された開口の形と、それによって枠どられた向こうの景色である。
何本かの通りの交わる交差点から、一本の細い通りを奥へとすこし入った、低い家が同じような大きさで並ぶ静かな場所に、夫婦とその子供の暮らすところと、夫の仕事場のあるところを合わせもつこの家の敷地がある。 この敷地に、庭として使える空地を残し、建てることが可能な大きさいっぱいのヴォリュームを置く。 そのヴォリュームに骨格となる構造をあたえる。 構造は、ヴォリュームを幅の広い側と幅の狭い側に分ける壁と、そこから持ち出される床とそれらをつなぐ階段を建物の短いほうの壁と上へとのびる屋根がぐるりと囲うようなかたちでつくられ、コンクリートの構造体である。 その構造体から吊られた木造のカーテンウォールで両側から蓋をして内部化する。 コンクリートの構造体は塗装下地用シーラーの上に透明塗料を塗り、その下に打設面がのこったまま仕上げられ、そこに取り付くカーテンウォールは白く塗られ、窓が開けられる。 そうやってつくられた内側を、大きな空間を居間やキッチンにしたり、その一部に天井から床を吊ったり、屋根裏のようなところを部屋にしたり、上を行き来できるブリッジのようになっている家具を置いたり、階段の踊り場のようなところをお風呂にしたりしながら住まいとして使いこなしていく。 これがこの家のつくりかたである。
発泡スチロールはその発泡倍率から強度と光の透過率が変わる。そのため、キューブは比較的高い発泡率の50倍で成型し、さらに表面を5mmスライスすることで光を分散させ、透過率の高い仕様としている。それに対して149φのシリンダーは倍率20倍とし、強度と耐久性をもたしている。キューブとキューブの連結には製本に使用する組みねじを使用。締めすぎやスチロールの変形を抑えることでバランスの良い連結を実現している。電球の発熱によるスチロールの耐熱性能は、数回の実験によりその性能を実証し、照明器具として販売する際に必要となるPSEマークを獲得している。bambiはaからzまで計26パターンの形があり、展覧会ではuからzの6パターンを展示。残りのパターンは宝石のような小さな模型を見本としてTARO NASUで販売、購入することができるようになっている。
TARO NASU OSAKA is renovated gallery on the ground floor of an apartment. We avoid a simple white cube that set the stage for artists but aimed to create space with character which offer different atmosphere each time at each different exhibition. Another client’s request was a closed small wine bar. The ceiling and wall is finished with cemented excelsior board (45cm×45cm t=15mm). The wine bar is designed as a movable box and regarded as one part in this space. Cemented excelsior boards are connected with screws at each angle and the distance between each board is 1mm. At existing white cube, switches, sockets, lighting and air conditioning jets are impurities, as white cube is supposed to offer just a simple surface. In this gallery each board is movable and that allow hiding those impurities behind the board. At present, air conditioning jets and lights are not 45cm×45cm squared parts but we continue study of replacing them with square parts. The rule of this gallery is filling the space with movable parts. In this respect this gallery differs from existing white cube.
つねづね、美術館の仮設可動壁が気になっていました。仮設の壁にしか見えず、その空間のキャラクターをつくれないマイナーな要素に作品が展示されている、というのは空間と作品との関係に決していいものではないと。また、可動壁の上下の隙間もすごく気になり、あれをなんとかなくす方法はないかと思っていたんです。TARO NASUでは、空間自体が可変性をもたせるために、可動壁でなくて可動部屋をつくりました。空間が個性をもつことと、展覧会ごとに様相ががらっと変わる、ということはすごく矛盾していることで、ほとんど不可能な要望でもありました。そこで、可変の箱を置くことを思いついた。その部屋が動くこさらとで、空間全体のキャラクターをつくる。しかも、更の状態ではとても弱い空間で、「もともとの空間」というものがない。見えているものが建築としての完成形ではないわけです。展示が行われてはじめてひとつの空間がある。これはタイムレスの空間です。完成したというものがなくて、作家がそこに何かを加えていくことの連続で空間ができていく。小さんの展示はまさにそれを感じさせてくれました。彼が不毛セメント板パネルの「箱」を黒く塗ると、表面がでこぼこしているから、奥までペンキが入らず、かといって、パネルももう二度と白くならないわけです。たとえパネルを取り替えたとしても、そこだけが少し色が合わないことになります。だんだんとパッチワークみたいになっていくでしょう。だから、これから作品をつくる作家は必ず前の人の痕跡と闘わないといけないのですね。 オルタナティヴとしてのホワイトキューブ TARO NASUというのは、空間についての一連の問題一作品と空間がどうすればいいかというものの終局点みたいな感じがしています。ある意味ではホワイトキューブに戻ってきたといってもいい。とはいえ、ホワイトキューブといっても、部屋全体がひとつの面でできるのではなく、木毛セメント板のパネルで覆われています。反ホワイトキューブではなく、ホワイトキューブのオルタナティヴといったらよいのかもしれない。最初は、ホワイトキューブに対して、批判的でもあった。つまりホワイトキューブならば何でも作品に見えてしまう、ある意味フレームのような、額縁の機能を空間自体がもっている、それがホワイトキューブであるのだろうと。そうなると、どの空間も同じくフレームにならざるをえないのが、美術館なり美術のための空間の宿命です。 ではサイトスペシフィックならば、あらかじめ作品を想定しないで構想するものの、やはり作品をまったく想定しないということはありえないから、結局想定しているわけです。だからじつは強度をもった空間には、その矛 盾は感じられない。強度が弱いものの場合(TARONASU)、それを考える筋道がまさに出発点に戻った。青森の場合でもTARO NASUの場合でも、構想する時点でできあがる空間のイメージ、その空間にいる気分がだいたい感じられています。その気分が本当に得られるのかどうかをチェックしながら設計しているのですが、そのものを論理的につくっているわけでもない。何回も何回も考えて、でき上がったものを整理していくと、結果的にこの空間に何をしたかっていうのがようやくみえてくるんです。 じつはTARO NASUは、でき上がってみたらこれはホワイトキューブなんだという感じがしたんです。でもそれはしょうがない、ホワイトキューブというのは、じつはある意味サイトスペシフィックな空間が最初から入っているからー。
TARO NASU OSAKA は、マンションの1階をギャラリーに改装したものである。お膳立てされたホワイトキューブではなく、固有の空間の質をもちながらも展覧会ごとに空間がまったく変わったように感じられること、また、ワインを飲むための閉鎖的な小さなバースペースをつくることが求められた。 壁、天井は45cm角の木毛セメント板パーツで覆われ、そこにパーツとして可動式ワインバーが置かれる。木毛セメント板の四隅はビスで簡易に留め、パーツ間の隙は1mmとられている。このことは、一体的な壁として見えることを目標とするホワイトキューブにおける視覚的夾雑物-スイッチ、コンセント、吹出口、照明など-の問題に直結することができる。すべてが可動であるため、スイッチやコンセントは木毛セメント板の裏に隠すことができる。空調の吹出口と照明はいまのところ45cm角のパーツではないが、今後スタディを行い、それぞれ45cm角パーツに置き換えられる予定である。こうした可動パーツで空間を満たすというルールからなる『TARO NASU OSAKA』は、ホワイトキューブとはまるで異なるタイプのギャラリーである。 『taro nasu bambi』では、45cm角のパーツを二つに割った22.5cm角のキューブがところどころ仔鹿の角のように枝分かれしながら増殖していくパーツに置きかえられている。キューブのパーツは倍率50倍の成型発泡スチロールでつくられたものに、青森県立美術館で使用した雪の結晶のような模様のカーテン生地を被せさられている。キューブひとつひとつには光源が仕込まれ、計67個のキューブから放たれる柔らかい光で空間は満たされる。
結晶のようなチャペルをデザインしました。結晶を顕微鏡で拡大すると、小さな立体的な格子が、規則正しく並んでいます。このごく小さな格子の形に、目に見える結晶の形が、すでに表われています。これが結晶が結晶になるための秘密です。このチャペルの結晶は、リングの格子からできています。純白の金属のリングが立体的に組み合わさって、屋根を支えています。その組み合わさり方が、チャペル全体の形を決めています。リングは、永遠、完結、一体の象徴です。水面にチャペルが映りこみます。このチャペルは静謐な空気に満ちています。純白の、厳かな、霞が立ちこめているようです。「霞のかたまり」が切り取られたかのように、神聖な空間が、ここに突然出現します。チャペルのなかは、この聖堂のために制作された白く柔らかいファブリックで包まれています。昼には、陽の光を受けて白く輝き、霞を通して、木々の葉が揺らぎます。夜には、柔らかく白い光を発する宝石箱となって、夜の帳に幻想的に浮かび上がります。このチャペルは、昼夜の2つの魅力的な顔をもっています。
The new building volume shows a ‘footprint’ of the old buildings as an exterior court space. Through inverting process, reciprocal relationships are created between old and new buildings. All functions are on the same level as the trench (-2.50/-3.00 m), the building volume is about half a storey, 1.80 metres higher then the ground level. With a height of about 4 metres, the ground memorial’s hull is the highest point of the whole site. The documentation centre’s façade mirrors and reflects the site with its conditions, as textures and colours. The building can be crossed (through the old footprint’s courtyard), so that bridge and foyer are easily accessible from all the three site entrances. From the foyer, visitors can start the tour, the end of the tour will lead them back over the building to bridge and foyer. The tour’s way is laid out with cast-in-place concrete (cast out of fragments). At the points of information, the way is widening to hold more space for people and groups. Between point no. 6 / Prinz-Albrecht-Palais and no. 10 the way runs a slope for easier circulation. A passable cover is laid over the remains. Along the shape of the remains, the cover is transparent. By this framing, emphasis is given to each remain by its specific shape and the frame. Each frame is equipped with benches. TOPOGRAPHIE DES TERRORS Erläuterungsbericht Der neue Baukörper zeigt einen ‘Fussabdruck’ der alten Bebauung als Aussenraum. Durch das Umkehren wird eine Beziehung zwischen Gelände mit seiner Geschichte und dem Dokumentationszentrum geschaffen, man kann die alte Bebauung ablesen. Alle Funktionen sind auf Niveau des Ausstellungsgrabens (-2,50/-3,00 Meter), der Baukörper ragt nur um ein halbes Geschoss, um 1,80 Meter über die Geländeoberkante hinaus. Mit einer Höhe von etwa vier Metern ist die Einhausung des Bodendenkmals der höchste Punkt auf dem Gelände. Die Gebäudehülle des Dokumentationszentrums spiegelt und reflektiert das Gelände mit dessen Beschaffenheiten wie Textur und Farbe. Das Gebäude kann überquert werden (durch den Zwischenraum), so dass Brücke und Foyer von allen drei Eingängen leicht zu erreichen sind. Vom Foyer aus können Besucher den Rundgang starten, das Ende des Rundgangs führt wieder über das Gebäude zur Brücke und zum Foyer. Der Rundgang wird mit aus grossen, aus Bruchstücken gegossenen Betonteilen ausgelegt. An den Stationen weitet sich der Weg auf und bietet Platz für mehrere Leute und Gruppen. Der Abschnitt von Station Nr. 6 / Prinz-Albrecht-Palais zu Nr. 10 läuft zum einfachereren Ablauf eine Schleife. Über die Fundstätten wird eine begehbare Abdeckung gelegt. Der Form der Überreste nach ist die Abdeckung transparent. Die Fundstätte wird so eingerahmt und durch seine eigene spezifische Form mit Rahmen hervorgehoben. Der ‘Rahmen’ ist mit einfachen Bänken ausgestattet.
新棟のボリュームは、旧建物の「足跡」を外部のコート空間として示している。この反転プロセスにより、新旧の建物間に相互関係が生まれる。全ての機能はトレンチ(-2.50/-3.00m)と同じレベルに位置し、建物のボリュームは地上より約半階分(1.80メートル)高い。地上記念碑の船体部分は高さ約4メートルで、敷地全体の最高点となる。資料館のファサードは、質感や色彩といった条件を含め、敷地を鏡のように映し出す。建物は(旧建物のフットプリントの中庭を通って)横断可能であり、橋とロビーは敷地三方向の入口から容易にアクセスできる。訪問者はロビーから見学を開始し、見学の終わりには建物上部を渡って橋とロビーへ戻ります。見学路は現場打ちコンクリート(破片を型枠に埋め込んで打設)で整備されています。情報ポイントでは通路が拡幅され、個人やグループがより広く利用できます。ポイント6(プリンツ・アルブレヒト宮殿)から10の間は、移動を容易にするため傾斜路となっています。遺構上には歩行可能な覆いが設置されています。遺構の形状に沿って覆いは透明化され、この枠組みにより各遺構の特異な形状と枠が強調されます。各枠にはベンチが備え付けられています。•恐怖の地形学 解説報告書新建築体は、屋外空間として旧建築群の「足跡」を提示します。この反転構造により、歴史を宿す敷地と資料館との関連性が創出され、旧建築群の輪郭を読み取ることが可能となる。道路沿い全ての機能は展示用発掘溝レベル(-2.50/-3.00メートル)に配置され、建物本体は半階分(1.80メートル)のみ地盤面より突出する。約4メートルの高さを持つこの考古遺跡の覆いは敷地内の最高点である。資料センターの建物外装は、地形の質感や色彩といった特性を映し出し反射する。建物は(中間空間を通って)横断可能であり、橋とロビーは三つの入口全てから容易にアクセスできる。ロビーから見学者は巡回ルートを開始でき、ルートの終点は再び建物上を橋とロビーへと導く。巡回路は破片を鋳込んだ大型コンクリート部材で舗装される。各ステーションでは通路が拡がり、複数の人やグループが通行できるスペースを提供する。第6ステーション(プリンツ・アルブレヒト宮殿)から第10ステーションまでの区間は、動線簡素化のためループ状に設計。遺跡上には歩行可能なカバーを設置。遺構形状に合わせて透明なカバーを採用し、遺跡を枠で囲みながらその固有の形状を強調。この「枠」部分にはシンプルなベンチを配置。
ルイ・ヴィトン・香港ランドマーク は、香港島中環に建つ店舗である。外装設計を担当した。基本的には、縦ルーバーのデザイン。ルーバーの各ブレードはジグザグのエッジを持ち、その形は大きなジグザグと小さなジグザグの2種類である。素材はアルミで、9mmの厚み。間隔は芯々で44mm。ブレードの側面と小口の仕上げをそれぞれ別個に扱って、その組み合わせで、1.側面=鏡面、小口=白、2.側面=白、小口=鏡面、3.側面=ヘアライン、小口=白、4.側面=白、小口=白の、4つの種類をつくった。それらのブレードの配列組み合わせによって、ダミエ・パターン(ルイ・ヴィトンが持つパターンのひとつ)が、見る角度によって、浮かびまた消えるようになっている。
前橋郊外に建つ事務所建築である。1階は作業室や倉庫など、ワークショップ空間、2階は執務空間、3階は会議室や社員食堂なのための空間になっている3階建ての建築である。1階は防犯上のため、3階はプライバシーを確保するため、建物の周囲に砂防有孔折板のスクリーンを巻いている。その結果、2つの同じ細長い直方体のヴォリュームが、若干の隙間をあけて、縦に積まれているように見える建築になっている。室内に多用されているのは、木毛セメント板である。砂防有孔折板も木毛セメント板も、そのテクスチャーだけを残すように、白く塗られている。駐車場のアスファルト塗装も、白く塗られている。駐車スペースを一つ飛びに、黒く残すことで、駐車位置を表わしている。建築全体として、実体と表層の関係を扱っている。
ビルの3階にある店舗のファサドは天井である。道路からは、ガラス越しに天井が見える。Xel-Ha by afloatは、天井全面が光天井になっている。使用されているのは、拡散光を得るのに最適で、一般的にはランプ・シェードなどに用いられる白色半透明のプラスチック・シート(ワーロン)と、光源として、電球型蛍光灯である。プラスチック・シートは、弧を描くように湾曲して、天井全面に吊られている。光源は露出だけれど、ほとんどの視角でプラスチック・シートに遮られて、直接のグレアは目に入らない。天井全体が光を放つフレアになって、巨大な雲が天にかかったように感じられる。雲の下には、焦げ茶とステンレスに限定された、家具と床が、ランドスケープのように広がっている。
巨人伝説を生み出すこの土地は、人からスケールへの感覚を奪い取る。 そこに、monolithのごとく、純粋幾何学形態もったものが突如現れる。 _landscape 敷地を南北に分割し、それを境にgiant’s causewayが始まる。 南側はhotelとmuseumを結ぶベルト状のエリアをcar and bus parkingとし、駐車場利用者やhotelとmuseumを行き来する人のために植栽を配置する。北側の32m角cubeの基壇上には、駐車場から4m上がったレベルにexternal event spaceとexternal seatingが広がっている。 _access 利用者は、hotelとアプローチ道路を共有しアクセスし、車をhotelとmuseumを結ぶベルト状のcar and bus parkingにとめた後、32m角cubeの下からfirst floorのtourism information centre行く。 シャトルバスは、32m角cubeの下でtourism information centreから降りてきた利用客を乗せた後、giant’s causewayへ向かう。 緊急車両は、現状のNational Trust Shop and Caféの脇を通る道を使って、giant’s causewayへアクセスする。 _充填 skinの内側に、定まった結合ルールをもった物質で充填されて出来た石。 この建物において、skinは32m角cube、結合ルールをもった物質は直径1mの構造体であると同時に装飾となるリングであり、これらでshellを形成している。 リングは、構造的に負荷のかかるcube壁面中央やコーナー部分に多く充填され、逆に大空間を形成するためにcube中央からは取り除かれる。 _空間の構成 coreとshellからなるこの建物は、特徴的な3種類の空間を生み出す。 core上部と殻の間の大空間は、catering/ retail/ exhibition spaceなどflexibilityが求められる機能のために利用され、人が自由に使うことができ、他2つの空間よりも遥かに明るい半屋外のような大空間となる。 core内部は、tourism information centre/ learning space/ internal events space/ office/ kitchen/ storage/ plant controlなど、目的の明確な機能がおさまり、利用者やstaffがconcentrationできる環境となる。 coreが地面に置かれることで生まれるその隙間は、entrance/bus stopとして、人を迎え入れ、そしてgiant’s causewayへと送り出す、exchange terminalのための場となる。 _結合ルールとユニット 正四面体の4つの頂点を切り取って生まれる切頂正四面体は、空間を隙間なく充填することができるという性格を持っている。この正八角形4面と正三角形3面からなる切頂正四面体の、正八角形に内接するリング(直径1m断面45mm角の正方形)を点でつなげたものが、1ユニットとする。したがって、このユニットもまた空間を充填することができる。 _a transitional period 現状の機能を可能な限り維持しながら、建物本体の工事を行う。 具体的には、新規計画においても、駐車場は現状とほぼ同じ位置を維持するので、工事中も使用可能であり、現状3棟あるvisitor centreも現状3棟ある建物のうちもっとも大きなNational Trust Shop and Caféは建築エリアから外れるため、改装して工事期間中visitor centreとして使用する。
青森県立美術館 は、地面をトレンチ状に縦横に切った上向きに凸凹の土のランドスケープに、上面は平らで下面は凸凹の構造体を噛み合わせた構成を持つ美術館建築である。構造体内にホワイトキューブの展示室を持つほか、構造体と土との間のさまざまなスケールとプロポーションを持つ隙間空間をサイトスペシフィックな展示室としている。構造体と噛まないトレンチ部は、屋外展示空間、ワークヤードとして用いられる。外壁は煉瓦カーテンウォールでありながら、外壁全体で変位を吸収するようにすることで、カーテンウォールに伴うジョイントを隠し、煉瓦組石造が空中に浮いたような印象を与えている。土のトレンチは、隣接する重要な考古学遺跡「三内丸山縄文遺跡」との一体性を醸し出している。
LEDは僕にとって面白い素材です。10年ほど前から興味を持ち、建築の照明として取り入れてきました。当時はまだほとんど出回っておらず、わずかに存在しても大変高価な製品でした。それが次第に技術的にも価格的にも使えるものになってきて、現在では光源を考えるときにはLEDが当たり前となっています。しかしながら、今はまだ「LEDがどれほどインパクトを与え、社会を変えていくのか」を表現するところまでは至っていないように思います。それを踏まえて、取り組みの変遷を紹介します。照明をデザインするとき、要素となるのは光とそれをつくるもの、すなわち光源や器具です。この2つは、似ているようで実は相反する関係にある。光そのものを見せたい場合、光源や器具を目たせずに欲しい光だけを得たいわけです。反対に、光源や器具も一緒に表現したいと思うと、今度は光そのものが見えにくくなってしまう。そのせめぎ合いやバランスに難しさがあります。具体例を挙げてみましょう。僕が初めて商業建築を手掛けたのは、1999年のルイ・ヴィトン名古屋(栄店)でした。店舗は夜の表情も重要だろうと、全体をきれいな発光体として見せることをコンペで提案し、採用されました。外壁をダブルスキンとし、外側のガラスと内側の壁に市松模様(ルイ・ヴイトンのダミエ・パターン)を施し、モアレ現象を起こさせる。これに光を当てることで、互いに干渉し合い、実在しない第3のパターンが現れる構想です。まだ光源は蛍光灯でしたから、影のない均ーな光を出すのは非常に難しいことでした。その後も2002年にルイ・ヴィトン表参道ビル、04年にはルイ・ヴィトン銀座並木通り店を手掛けましたが、やはり蛍光灯を使い、苦労して仕上げました。銀座の店は既存ビルの改装で、僕は夜、外装に光が浮き出てくるアイデアを提案しました。GRC(ガラス糖強化セメント)パネルを薄い大理石にして部分的に光を透けさせる。コンピュータープログラムによって、その光の明るい部分と暗い部分変化させ、呼吸しているかのように光を見せるものです。しかし、蛍光灯による潤光には限界があるため、思うようには光の強弱が付きませんでした。
LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI は、大小の正方形がランダムにばらまかれたように、ベージュ色に調整されたGRCに、テラゾーのように、光を透過する白色のインド産アラバスターが打ち込まれ研磨された店舗外壁デザインである。外壁全体としても、ランダムに配置された大小の正方形領域があり、その場所ではパネルの裏側が15mm厚まで研磨された上に補強としてガラス板が貼り合わされ、それら正方形領域が夜間、内側の照明によって交互に浮かび、また消えるようになっている。ディスプレー・ウィンドーもテラゾーのように、高透過ガラスを3枚合わせにして外壁と面をそろえている。パネルの躯体との連結は、不透明部ではGRCリブボルド接合だが、透明部ではガラスのDPSによる支持による。
G は、鉄筋コンクリート造の基壇の上に木造の歪な家形が載る形式の住宅である。木造の家形は日本の在来型の木造構造で、外壁と屋根の区別なく、全面に塗膜防水剤が塗られている。開口は家形から欠き込まれた部分を除き、同一のトップライト用既成木製サッシが点在していて、それが外壁上の不均一な斑点となっている。基壇部は一般的な木造住宅なら家形のなかに含まれている居間、食堂、厨房の空間にあたり、そのため上の家形には個室のみが構成となっているため余剰の空間が生まれ、そのことによって家形は基壇部への巨大なトップライトとしての機能を果たしている。この住宅の形式の特異性を示す77.3cmの水平な隙間が、基壇と家形の間に挟まっている。
DAIWA PHARMACY は、水戸芸術館現代美術センターの企画、水戸青年会議所のプロジェクトとして、既存の木造建物が対象にされたインスタレーション作品である。そのため、建物としての用途はない。しかし、将来美術作家によるインスタレーションのこの建物を継続していくモチベーションだけは与えようとしている。既存の2階建の建物から部屋がほぼそのまま残される一方、それらをつなぐための空間である階段と廊下にみに改装の手が加えられている。廊下と階段スペースは、ギルランダイオのフレスコ画から小鳥を含む部分が抽出され、それらのイメージが再構成されたCG出力紙によって床と壁が連続的に覆われている。床にはベージュ塗装の上に透明樹脂が流し込まれている。
BEYOND FIBERS は、日本科学未来館での繊維に関する展覧会の会場構成デザインである。漁網用の透明ナイロン繊維が、高さ6m間隔1cmで並びそれが幅18mとなった層が基本単位になっている。この層が間隔10cmで9層、14層、9層、9層と積層された4枚の半透明区画幕によって、長方形の展示空間が5つのゾーンに分割されている。各層のナイロン繊維には、白色スプレーで浮世絵のモチーフを抽象化したパターンが施され、その重なりが絹状の透明繊維の林のなかに、奥行きをもった雲状の画像を浮かび上がらせている。半透明区画幕には、時間によって強弱を推移させるプログラムをセットされた照明が仕込まれ、繊維上の煌めきや空間全体の奥行きに時間的な変化を与えている。
NMNL は、事務所の用途としてつくられている典型的な建物の内装デザインである。既存の岩綿吸音板の天井とフリーアクセスフロアの床が撤去され、窓側に社長室、取締役室、企画室、2つの会議室が設けられ、内側に残された長方形平面の空間が打ち合わせラウンジになっている。打ち合わせラウンジは外周の部屋からすれば中庭のように、外周の部屋は打ち合わせラウンジからすれば縁側のように感じられるように、その間の境界面がデザインされている。境界面は正規の梁の位置から内側に、柱間ごとに1.7m出たところに、レースに和紙を折り込んだファブリックによって視線をコントロールしつつ、全体の比例関係からすれば太いフレームとそこに嵌まる透明ガラスでできている。
LOUIS VUITTON NEW YORK は、合わせガラス内に市松模様—ルイ・ヴィトンのダミエ・パターン—と、ガラスの室内側に、市松模様のグリッドを守りながら、しかし正方形の寸法を変化させることで不透明から透明までのグラデーションを持った市松模様を重ね合わせた外装デザインである。やや白濁した全体から室内の情景が、輪郭を曖昧にした長方形で滲み現れている。外装の施された部分は、1930年クロス&クロスによってつくられた「ニューヨーク・トラスト・カンパニー・ビル」の一角で、それが直接的な影響を受けていたフュー・フェリスのドローイング群、分けても「水晶の束としてのニューヨークの摩天楼」という夢を、70年の時間を経て、実現しようとしている。
BUREAU SHINAGAWA は、幅43.2m、奥行き17.15m、高さ80.3mの24階建て「サービス・アパートメント」である。室数は305で住戸の基準面積は33.6m2。コンパクトな住戸に対して、共有の浴場、アスレティック・ジム、バー、レストランを持つ。2方向避難のために設けられたバルコニーの手摺は着物の伝統的な柄である「よろけ縞」が施されたガラス製で、各縞毎にベージュ、サーモンピンク、グリーンなどの色が割り当てられている。夜間は、住戸の開口下に設置されている光源からバルコニー床にバウンスした弱い光がバルコニーのガラス手摺にあたり、外景としては各色が交じり合った水平帯状の光となり、住戸内からはそこまで部屋が拡がっているような錯覚を与えている。
GAS MUSEUM は、海を埋め立てながら拡張し続けている東京の、置き去りにされていた埋め立て島の付け根に位置する。幅1670.3m長さ507.5mの島への接続部にあたり、幅261.8m長さ146.6mの敷地である。島へのゲートと位置づけられるその特殊性を考慮して、高さ45m長さ279.5m幅5mのトンネル状のゲートがそこに現れる全ての形態である。再開発されるこの島に東京水産市場が移転することから、昼夜大型車両の通行が予想されるため、ゲートは吸音性の高い静寂な空間として、年中人口雪が振り続けるトンネルになっている。博物館自体は、この敷地を貫通する大通りと視覚的にはガラスによって一体化させ、車道からすれば展示室を通過したような、展示室からはなかを車両が通過しているような間隔を与えている。
MITSUBISHI MOTORS TOKYO MOTOR SHOW 2003 は、三菱自動車のための、東京モーターショーでの38.5m 47.5mの会場デザインである。展示される自動車のための照明グリッドそのものをデザインしたもので、大小のリングが相貫してつながった雲状の天井である。会場の天井を遮蔽することなく、しかし場の雰囲気を変えている。リングは10mm厚の透明アクリ板を両側面から、60mmの隙間を開けて縦方向に水平に並んだ30mm角のアルミ角パイプで挟み込んだもので、その隙間を利用してジョイント部で角パイプが交差している。交差部では、基本的に、3つのリングが交差している。構造的にはアクリ板が鉛直方向の梁となっていて、その力学的一体化と水平方向の変位を抑えるためにアルミ角パイプが用いられている。
LOUIS VUITTON ROPPONGI は、内外装を問わず全体が、直径10cmの円形という単一の要素の集合でできあがった店舗デザインである。外壁では、2枚のガラス板で密閉されたなかに、直径10cm長さ30cmの透明ガラス・チューブ28,000本余りが、同径の穴を穿たれた2枚の鏡面ステンレス板によって吊られ、それぞれが乱反射を起こすその複眼的な要素が、周辺の光や色を拾って、微妙に表情を変えている。内部は、大きく「広場」と「サロン」に分かれ、その境界面として、直径10cmのステンレス・リングが組み合わされたスキンが使用されている。店舗の空間形は恣意的な複雑さを持つが、こうした単一要素の繰り返しによって、統一感としかし多様な質を生んでいる。
BF Building は、幅20.4m、奥行き18.2m、高さ48mの10層のテナントビル案である。柱や制震ブレスなどの鉛直方向の構造材は全て外壁に沿って設けられているが、外壁はその構造システムとは別個の被膜として扱われている。パンチングメタルの開口配置のずれが、アンディ・ウォーホールの絵画から引用されたカムフラージュ・パターンによって与えられ、それが2枚重なることで、立つ位置によってパターン中のあるものが強調されて見えるようになっている。室内側では、円形の開口が設けられ、そこを窪みとする滑らかな自由曲面になっている。同じパターンが入り込んだエントランスの奥には2機のシースルー・エレベータがあり、トップライトの用を兼ねている。
R は、敷地中央に、高さ70cmの鉄筋コンクリート造の腰壁を周囲に巡らせたスラブを鉄骨アングル材合成柱で積層支持した住宅案である。3,4階ではこの鉄骨柱の内側が居室、1階では外側が居室になっている。階段室および将来はエレベータ・シャフトとして利用される倉庫は全体の水平力を負担するため鉄板で壁がつくられている。2階は吹抜けで、中央のひとつの構造形式が上階と下階で正反対の方法で利用されている。2階から上は外壁全面にアルミ製折戸が使用され、全体を開放することが可能になっている。中央の吹抜空間は、外気を遮断できる半戸外の中庭として利用される。1階の基壇としての外壁は、白色のコンクリート壁で、基壇の上2階は緑化された屋上庭園になっている。
U-bis は、東京国立近代美術館に展示されたインスタレーション作品である。各作家毎の展示室を区画する仮設壁の内側を広げ、そこに裏側の隙間空間をつくっている。隙間空間の壁と天井には壁紙の花柄を700倍に拡大したものが貼られ、床は同美術館前庭の芝生を撮影したものを4倍に拡大したものを貼られた上、透明エポキシ塗料が厚さ2mmで流し込まれている。照明には基準展示室より照度の高い蛍光灯が用いられ、その光が仮設壁の次の部屋への開口端部から明るく漏れている。隙間空間の端部で、固定展示ガラスケースにぶつかる部分では、この美術館の収蔵品中、この作品の主題に親和すると思われた辰野登恵子、香月泰男、須田国太郎の絵画作品が選ばれ陳列されている。
FARM は、様々な敷地形状に対応できる運搬可能な屋根システム案である。基本ユニットは、直径90mmの円柱コラムの上に、蝶ネクタイ状に対称を成してアルミ製翼が拡がるもので、それらの結合によって6角形を基準とする屋根平面が得られる。アルミ製翼の形状次第では、円形、星形、花形などの多様な形状の開口が得られ、その屋根開口に空気膜透明テントを載せることで、雨から守られながら適切な日射量を受ける屋根が形成される。空気膜透明テントは、コンプレッサーによって膨らませた状態を保つ風船である。屋根面のエッジは、島の海岸線のように複雑な形状を持ち、予測不能な将来の敷地条件に適応することができる。
ルイヴィトン表参道店 は、直方体単位が不規則に積み重なってできた、幅25.5m、奥行き20.8m、高さ31.9mの店舗建築である。構造体は、水平方向では30cmの、鉛直方向では37cmの、各直方体間の寸法の統一された隙間にあり、すべての柱が20cm 20cmのH鋼、すべての梁が20cm 20cmのH鋼でできていて、全体としては、通し柱の少ない不均質なカゴ状の構造体になっている。外装は2種類のメタル・メッシュとステンレス磨きパネルあるいはパターンを施されたガラスの2層からなり、内部直方体単位間の境界も軽やかなメタル・メッシュから成る。7階のLVホールは3層高さを持ち、メタルメッシュ、ガラス、白色リボンの刺繍された白色レースの3層のスクリーンで包まれている。
三菱モータースショールーム は、透明ガラスの外壁の内側にアクリ製の不定形プリズムブロックを積層することで、像を歪ませようとするショールーム・デザイン案である。プリズムの形状は基本的には3角形台とし、その各辺の厚みを100mmとしたまま、3角形内の任意の1点を最大厚み—厚みは任意—を与える点とし、各辺とその頂点を結ぶ3つの3角形面に3角形を変形したものである。プリズムによる様々な屈折は、外からは内部に展示された乗用車の像を断片化し、散逸させ歪ませる。中からは外部からの風景を同じように断片化、再配置するだけでなく、内に差し込む外光に多様な方向性を与える。ショールームの床は、厚さ12mmの鉄板で、乗用車の設計図が罫書かれている。
Y は、彫塑的に伸び上がったコンクリート造の量塊、中庭式住宅、日本の伝統的な様式の家屋の3種の要素が組み合わされた住宅案である。若いカップルのためのコンクート造の量塊は地下階と3階から成り、その間の基本的な交通はエレベーターによる。地下は音楽スタジオを寝室、3階は居間である。この量塊には窓が全くなく、壁で囲われた空中テラスにのみ開かれている。郊外の茫漠とした風景のなかに、全く無根拠な形態を持った物体が出現している。内部空間のあるところだけ、外壁側に断熱材とそれを保護する鏡面ステンレス板が貼られ、量塊の表面に表情を与えている。中庭式住宅は母の住居、日本家屋は、清家清設計の「森博士の家」をオリジナルとした祖母の住居である。
K は、周辺の視線からプライバシーを最大限守りながら、海や樹海との一体感を最大限に与えるようにつくられた別荘である。3方向が崖になった、また海に向かって次第に下がって行く半島状の敷地の背骨に沿って壁状の構造体を配置し、その壁によって一方向からの視線を遮りつつ、プライバシーの守られている逆方向には2層の内部空間を設け、更にそこからキャンチレバーで樹海の中にテラスを張り出させている。アクセス時には上階のみの1層に見えるが、中に入ってから海への大眺望を持つ下階に至ることができる。全ての空間に竿縁天井が使用されることで、チークやウォールナットで仕上げられた洋風の部屋と杉板を編んだ壁の和室など内部空間の多様性に一貫性が与えられている。
i は、道路からの視線を遮りながら視界の拡がる方向に最大限に開き、朝の光を中に導くように、この住宅規模としては大きな三角形窓を適切な方向に向け、斜線制限が許す最大ヴォリューム形状を持ちながらも、むしろ自律的に形が決定されたようにつくられている住宅である。外壁と屋根はいずれも躯体防水の鉄筋コンクートで、その外側にスタイロフォームと縁甲板を貼った「殻」を形成している。内部は、殻の外部への開かれ方を最大限に利用するような位置に床が設けられ、天井高さ1.6mの階さえ生まれている。内壁はコンクリート打設面に塗装下地用シーラーを施し、面の微妙な不陸を均した上で透明塗料を塗ったもので、その意図せぬ不陸による白い班が表現になっている。
ルイヴィトン松屋銀座 は、百貨店の、長辺28.1m、短辺18.8m、高さ7.4mに及ぶ角を占める店舗の外装デザインである。基壇部は厚さ10mmのアルミ板のオープン・ジョイントの壁で、その上が高さ5.9mのダブルスキンの外壁になっている。外側のガラスは合わせガラスで、ガラス間に15mmの正方形ドットパターン、ガラスの室内側表面と内側の壁に市松模様—ルイ・ヴィトンのダミエ・パターン—が施された3層のパターンとなっている。ガラスと壁の間は68cmで、この間隔では反対側舗道位置からはモアレが消えてしまうため、壁上の市松模様を85cm毎に1単位ずらし、85cm単位の市松模様が現れるようにされている。店舗の一部は外部からパターン越しに霞がかかったように見える。
c は、幅2.0m長さ7.4mの細長い敷地内通路で道路につながる幅8.1m奥行き9.5mの「旗竿状敷地」に建つ住宅である。敷地の一角、その方向だけに視界が拡がる方向に、幅5.8m奥行き5.5mの長方形の庭を持ち、住宅本体はそれを除けるように、L字型に敷地内通路側に小さな突起を持つ構成になっている。小部屋の集合としての内部構成を持ち、ベージュの部屋、亜鉛どぶ浸けの部屋、白タイルの部屋、アクリの部屋、チャコールグレーの部屋と、それぞれに固有の性格が割り当てられている。サッシは鋼製で、枠は鉄板を押し潰すことで3mmという極小の見付として、この小さな住宅のスケール感に合わせている。床のみをデッキプレートとした木造の構造である。
L は、既存の石垣の擁壁を基壇として、その上に台形体コンクリートの箱が載る構成を持つ住宅である。主階の中央には床から70cm浮いて天井から「ベッドボックス」が吊られ、それが1室空間である主階を柔らかく分節している。ガレージの奥からはFRP板を通して浴室からの光が漏れ、ガレージの脇に設けられた玄関から階段を登ると、途中、主階の床と「ベッドボックス」との間の浅い水平の隙間から、2方向に眺望が一挙にひらけ、この住宅が面する墓地と巨大な榎を見ることができる。水平な隙間はまた、地階への採光を与えている。茶室のような「ベットボックス」は一部、バーベキューガーデンである屋上を突き抜け、その塔屋から採光と換気が与えられている。
ルイヴィトン名古屋 は、長辺22.6m、短辺15.7m、高さ9.5mの純粋な直方体の商業施設である。地下1階と1階が店舗、2階が事務所と倉庫に使用されている。外壁はダブルスキンで、外側のガラスと内側の壁に市松模様—ルイ・ヴィトンのダミエ・パターン—が施されることによってモアレ効果が現象している。ダブルスキンの1.1mの奥行きに、玄関のセットバック、ディスプレー、内照式サイン、地下へのトップライトを納め、店舗空間もまた純粋な長方形平面としている。最外部のガラスは、内側の壁からキャンチレバーで持ち出されるこれらダブルスキン内の突起物によって支持されるため、構造体である内側の壁は鉄板を使用した鉄骨壁構造として剛性を持たせ、層間変位を最小にしている。
B は、高さ9.6mのL字型量塊に高さ3.3mの小型のL字型量塊が貫入する構成を持った住宅である。1階の空間である小型のL字型量塊には、両端に開いたエントランスと他の機能とは独立して使用される部屋が割り当てられ、その量塊が地下1階から2階までの3層吹抜け空間である大きなL字型量塊を3次元的に分節している。2面で道路に面する外壁側にはドライエリアが設けられているため、波板ガラスを通して、地下1階から2階まで均質な光に満たされている。一方、庭側の外壁は道路側とは全く異なる表情を持っている。量塊の相互貫入によって生まれるクビレが空間を視覚的に分節するため、基本的には扉を持たない立体的な「不均質なワンルーム」になっている。
SNOW FOUNDATION is an office building whose section was determined by the requirements of a snow-based cooling system and whose plan was arrived at by means of computer-based Metaball modeling. Corrugated polycarbonate panels are used on the exterior wall; glass was avoided because snowplows can send stones flying through the air along with snow. The mail floor of the building is the second floor; the floor below it is used for storing snow, which serves as a heat source for the cooling system. A ramp and stairway zone is created around the building proper to provide access to the second floor. The ratio of the capacity of the snow storage, the volume of the room provided with air-type radiant cooling, and the volume of the room provided with chilled-water cooling by means of fan-coil units was calculated from the snow-based cooling system, and that in turn determined the ratio of the floor areas of rooms.
雪冷房システムから断面形が演繹的に導かれる一方、コンピュータで使用されるメタボールと呼ばれるモデリングによって平面形が導かれている事務所建築である。外壁としては除雪車から放擲される雪に小石が混ざる危険からガラスが避けられ、ポリカーボネート製波板が使用されている。冷房熱源としての雪の貯蔵庫が下部に位置するため、主階は2階となり、そこへの自然な動線が確保されるように本体の周囲にスロープと階段ゾーンが設けられている。雪貯蔵量、空気式輻射冷房される部屋の容量、ファンコイルユニットによって水冷式冷房される部屋の容量の3つの比率は、雪冷房システムから割り出され、それによって各室面積比率が決定されている。
御杖小学校 は、内直径24m外直径最大46mとする一周半分の末広がりの螺旋状スラブを基本的骨格とした建築である。この骨格が盆地状敷地に置かれることで、螺旋スラブと周辺の環境との多様な関係が生まれ、その多様性が教室など各空間に求められる多様な外部との関係を保証している。閉鎖的な庭を必要とする低学年教室では、螺旋スラブが盆地の窪みに接し、長時間室内で学習する高学年教室は螺旋スラブの空高い終点部として、豊かな採光が与えられている。螺旋の内側の中央部は体育館あるいは講堂として使用される空間で、テフロン加工テント膜の浅いドームで覆われている。本体螺旋構造物に付加されている小型螺旋構造物は、螺旋状スロープ全体で一続きの図書館空間となっている。
Z は、平面形を長方形とする二重螺旋の構成を持った住宅案である。両端に分かれた独立した2つの玄関から各々の螺旋スラブが始まり絡み合いながら、屋上庭園を介してつながっている。途中、階の中央で螺旋スラブは同一レベルで接し、そこで別の螺旋スラブに乗り移ることもできる。こうした構成が2世帯用住居というこの住居のプログラムを物理的に可能にしている。ほとんどの部分で勾配を持つか階段状の床になっている。これらの床は10cm背のH鋼を内包する15cmの鉄筋コンクリートスラブで、天井面はそのままコンクリート打放し仕上げになっている。柱は15cm角の鉄骨で、二重螺旋のスラブに対して、副次的な現れになっている。
潟博物館 は、地盤面で直径12mの円形が頂部で直径22mに拡がる最高高さ24mの逆円錐形の建築である。7階建て。1階はエントランス・ホールで、ここから最上階までつながる螺旋階段チューブが始まる。2階は管理事務室階で、円形平面の一部が触角状に突起し、それが1階エントランスのキャノピーの役を果たす。3階はカフェ階で、潟への歩道橋とつながっている。4階から始まる螺旋スロープは、周囲の潟を全方位に臨む展示ギャラリーで、途中5階中央に潟内の鳥類生態をリアルタイムで映すAV展示室、その真上6階に企画展示室を挟み、7階の潟の眺望を舞台背景とする展望ホールにつながる。遊水館と同じ「福島潟自然生態園」にある。
U は、道路の世界から庭の世界へメビウスの輪状に連続的に反転する構成を持つ住宅案である。道路側からすると、道路に対して開かれた台形平面の居間がこの住宅の主たる空間と認識されるが、道路の世界に属しているアプローチ・スロープを下り、折り返して地下階に入ると、いつの間にか庭の世界に居たことを発見することになる。庭側からすると、道路の延長としての居間は、庭側に大きく開かれた空間における小規模な要素に過ぎない。地下室は寝室で、庭に面した3層分の吹き抜け空間であるが、アプローチ・スロープと台形の居間の下では天井高は90cmと極端に低い。アプローチ・スロープと居間の台形の上面はそれぞれ浴室および食堂になっている。
Consists of an inverted cone, 14.6 meters in height, that is 36.6 meters in diameter as ground level and 40 meters in diameter at the top; a waterway that encircles the building; and an indoor bridge, 4.5 meters wide, that penetrates the building and crosses over the waterway. On the waterway visitors can ride small boats of the kind that have traditionally been used in the lagoon. The waterway separates the area where an admission fee is charged from the surrounding park where admission is free. The free indoor bridge enables visitors in the park to cross over the waterway, go through the cone-shaped facility, cross over the waterway again, and reach the area of the park on the opposite side. The indoor bridge is on the same level as the second floor of the cone-shaped facility where the dressing rooms for men and women and the administrative office are located. The first floor is an indoor pool. The distance from the surface of the water to the round holes in the floor of the indoor bridge is 2.7 meters. The ceiling is a double-layered structure of fluoropolymer-treated ten membrane. YUSUIKAN and FUKUSHIMA LAGOON MUSEUM are both in the “Fukushima Lagoon Natural Ecological Park”.
遊水館 は、地盤面で直径35mの円形が頂部で直径37mに拡がる最高高さ14mの逆円錐台形と、その外を一周する水路およびそれらを貫通する幅4.2mの屋内ブリッジから成る。水路は、潟で古来使用されていた小舟を楽しむためのもので、これによって周囲の無料の公園と水路内の有料の場所が区画されている。公園からは、無料の屋内ブリッジによって、水路、逆円錐台形の施設、再び水路を貫通し、反対側の公園に至ることができる。屋内ブリッジは、逆円錐台形の施設での2階にあたり、この2階には男女更衣室、管理事務所がある。1階は屋内プールで、水面から屋内ブリッジの床底円形は3m。天井はフッソ加工テント膜の二重構造。潟博物館と同じ「福島潟自然生態園」にある。
O は、既存の1,8mのコンクリート・ブロック塀の高さと2階の床高さが揃っているために、全体がほぼ半階分沈めた状態の住宅である。構成は各層ごとに性格を異にした明確な3層構成である。最下層は基壇を成し、そこから4つ円弧によって欠きとられて生まれた坪庭を持つ内向的な空間である。中央層は基壇の中央部に70cm浮いて長方形平面で回された「塀」によって囲まれた空間で、隣接する住戸からの視線を遮りながら、外光が床に反射してから上方に拡散する間接光で充満する空間である。最上層は、高さ70cmの腰壁以上を開口とし、遠方までの眺望に開かれた空間である。最下層は鉄筋コンクリート造、中央層は鉄骨鉄筋コンクリート造、最上層は鉄骨造である。
S は、地面に平面的に置かれたL型のブロックと倒立したL型のブロックが隙間をあけて立体的に噛み合うことでできている住宅である。居間、食堂、厨房の1階室内空間は前者のブロック内にあり、個室などの3階室内空間は後者のブロック内にある。1階は緑豊かな周囲からの視線に隔絶された庭と一体化し、3階は高速道路を挟んで広がる太平洋に向かって眺望が広がっている。高速道路と視線が見合う2階の室内空間はない。その代わり、2つのL型ブロックとそのの噛み合いによって、1階の2層分の屋根付きテラス、下のブロックの屋上である2階テラス、上のブロックの屋上である4階テラスが生まれている。下のブロックは木造、上のブロックは鉄骨造、木造カーテンウォール。
馬見原橋 は、全長40mの唇の形をした橋である。上が車と歩行者のための橋で、下が歩行者専用の橋。上橋の幅が4.4m、下橋の幅が5.7mで、上下の幅の差を利用して、歩行者は自然に下の逆さの「太鼓橋」に吸い込まれる。中央のもっとも背の高い空間で、路面から梁下まで3,6m。構造は唇の形に変形された鉄骨フィレンデール橋で、上弦材、下弦材、支柱全てが構造要素となっている。下橋の路面の仕上げは、現地産の厚さ25mmの杉板で、途中、2ヶ所、直径2.1mと1.8mの円形の穴が開けられている。下橋の手摺を除き、詳細は全て土木の標準仕様によっている。熊本県と宮崎県の県境に近い、山間の小さな町、蘇陽町にある。
UNDERGROUND CROSSING BODY は、幅員35mの車道を歩行者が快適に地下で渡るための地下広場デザイン案である。横断面は浅いU字形の空間で、これが単なる横断道ではなく広がりを持つ「広場」であることを利用して、斜面が急になるほど階段の踏面が横にスライスしていくことによって、同一蹴上の緩勾配の階段で降り、また登ることができるようになっている。底面には「スリー・オン・スリー」のコートが設けられ、市民の自発的な運営が期待されている。床面と天井はタイルでモザイク状に壁紙の花柄を拡大したパターンを現わすもので、床面にあってはベージュが基調色となり、天井面にあっては焦げ茶が基調色になっている。柱に蛍光灯と半透明のガラスを巻くことで、柱自体を照明としている。
メディアテークとは、情報を仲立ちにして市民が交流する施設である。そこでは、毎日、情報が書き加えられ、引き出され、加工・編集され、そしてその成果が、新たな情報として再登録される。 ここでの情報に、市民が直接的にアクセスできなければならないだろう。町を散策するのと同じ気楽さで、情報間を散策できねばならないだろう。より広い情報に、より直接的にアクセスできること。これがメディアテークの基本的条件だと思う。 情報のヴォリュームは膨大である。しかし、重要なのは、そのヴォリュームそのものではなく、市民の目に触れることのできる「表面積」、町や市民に露出した「表面積」である。限られた容量のなかで、情報の「表面積」を最大限にした空間。これがメディアテークにふさわしい建築型だと思う。 限られた容量のなかで情報の「表面積」を最大限にするために、ここで提案したいのは、「情報面」をたたみこんで、入りくんだ一種の「袋」をつくりだすことである。ちょうど人間の脳が大脳皮質の深い襞をつくったように。 「情報面」の「袋」は、内と外の2種類の空間を生みだす。人工光の空間と自然光の空間である。情報を媒介にしての活動が、それらの空間で行なわれる。空間は、アートギャラリーが図書館で区分されるのではなく、自然採光があるかどうかで区分される。
H は、幅12.3m奥行き2.7mの2層の廊下状の部屋が、崖の斜面頂上近くにひっかったように転がる住宅である。背後にはコンクリートの建屋があり、それが重しとなって、この鉄骨造の細長い空間を支えている。2つの廊下状の部屋はそれぞれ個室で、上階の床が開口のある鋼製デッキでつくられているため、相互のつながりが生まれている。斜面を利用して、どちらの階からも直接外に出ることができる。下階は崖の前後に大きな開口が設けられ、上階は耐候性能の高い金属板で鱗状に覆われている。コンクリートの建屋は下が食堂、上が浴室で、玄関の上部にはトップライトが設けられている。崖には特別の外構デザインが施されることなく、荒々しい地肌を見せている。
T は、上層の台形体の住居部分と下層の斜面をトンネル状に掘った住居部分の全く異なる2つの空間から成る住宅案である。道路から下に拡がる広大な斜面の林にあって、道路から見えるのは駐車場のみで、これは上層の住居部分の屋上である。鉄筋コンクリート造。上層と下層の両方に居間がある。上層は、斜面の下方向にのみ視界の開けた2層の空間で、緊張感を強いる場所として計画されている一方、下層は、土と有機的に交わり、斜面と一体化した「自堕落な」生活のための場所として計画されている。上層がアメリカ西海岸のモダニズム建築をイメージの源泉としている一方、下層は鶏が駆け回る中国の円廊—家畜を飼育するその中庭—から構想を得ている。
絵本について考えました。絵本には、ページをめくる楽しみがあります。次にどんな情景が待っているのか、ちょっと先回りして覗いてみたり、開いたページを前に物思いに耽ったまま、しばらくそこにとどまったり、もう一度前のページに戻ったり。最初からお仕着せの「読み方」があるのではなく、読む人が、自分の歩調にあわせて、ページをめくっていくことで、その人のなかに、その人なりの物語や感情が生まれてくる。「人が読むことでできあがる絵本」。そんなことをいわさきちひろの絵本から強く感じます。 さて、そんな意味での一冊の「絵本」として、「安野ちひろ美術館」をつくれたら、と考えています。 美術館も、絵本と同じく、何枚もの絵からできあがります。絵の置かれ方が、一方では本というかたちをとり、もう一方では環境というかたちをとっています。しかし、その両方に求められていることは基本的には似ているように思われるのです。 絵本のページをめくるように、一枚の絵から一枚の絵へ、自分の歩調にあわせて、休息をしたり、脇道に入ったり、お茶を飲んだり、また絵に見入ったり。 作品を「見せていただく」というのではなく、訪れた人が、好き勝手に時間を過ごすことができ、そこで様々な情景と出会う。訪れた人のなかに、そんな体験から、その人なりの物語が生まれてくる。 「そこで時間を過ごすことでできあがる絵本」そんな美術館ができたら、と考えます。 美術館を作りあげる「情景」は、なにも絵本の原画だけに限りません。まずは、安曇野の生きた自然。凛とした空気、清冽な水の流れ、レンゲなどの野草、とんぽ、かえる、流れていく雲、などなど。それから、そこで遊びまわるこどもたち。公園を含め敷地全体に広がるそうした生きた情景が、「安曇野ちひろ美術館」という一冊の「絵本」の重要な要素であると考えます。
はじめに 市民が日常的に訪れることができる空間をつくること。それが、最大の目標である。 「セントラルパーク」は、当然、そうした意味での「公共空間」を人々に提供する。そして、その中核施設である「市民文化会館」は、公園以上に、より積極的に、日常的に市民が「集い」「憩い」「語らい」「やすらぎ」を得られる場所として計画されるべきである。もしも、「市民文化会館」が、平素、内に入れない空間であれば、それは、公園というオープンスペースにとって、全くふさわしくないことである。 ここで計画される「市民文化会館」は、公園的な性格をもった新しい「公共」空間を、「セントラルパーク」にあたえるものであり、そのことにより、公園全体の魅力を高めるものである。 1.分断された景をつなぐ 現状では、白山公園の杜の景、濃川の水の景、古町の街の景が、つながりをもっていない。また県民会館や音楽文化会館などの既存の施設も孤立している。 そこで、全体計画としては、水、社、街の景をつなぎ、各施設と公園との関係を良くすることを、第一に考え、分断されている空間と空間をつなきあわせるしかけとして、(芝生の公園)と(太鼓橋)の2つのオープンスペースを提案したい。 <芝生の公園> <芝生の公園>は、古町を延長する帯状のオープンスペースとして計画される。「セントラルパーク」と体育館や陸上競技場との間の連続性を生むものである。 <芝生の公園>には、なだらかな地形の起伏がつけられ、丘や池などで奥行感が演出されている。また、春には、桜並木の下で、花見を楽しむこともできる。 <太鼓橋> <太鼓橋>は、やすらぎ堤に緩やかな勾配でつながる台形のデッキとして計画される。白山公園と濃川とをつなぐオーブンスペースである。 <太鼓橋>の上には、市民が楽しめる空間要素として、<円形広場>と2つの大きな(水盤)が組み込まれている。 2.市民の憩いの場をつくる 「セントラルパーク」には、人々を引きつける強力な磁場が必要である。そうした場がつくられることで、人々が立ちどまってくつろいだり、腰をかけて行き交う人を見遣ったり、人と待ち合わせをしたりすることができるようになるからである。「セントラルパーク」全体のそうした中核として、ここでは、(空中公園)と<円形広場>の2つの「たまり場」を提案する。 <空中公園> <空中公園>は、「セントラルパーク」全体のなかでも、最もくつろげる空間として計画される。 <空中公園>は、暗く風の強い新湯の冬にあって、人々が日常的に訪れ、人とあったり憩うことができる、常にみずみずしい緑があふれる室内化された公園である。 <空中公園>は、太鼓橋の上に浮かせる。公園内の歩行者動線をさまたげず、また眺望のきく開放的な空間とするためである。 <空中公園>は、「市民文化会館」のなかから、市民が日常的に利用できる空間をとりだし、それらを公園の環境にオーバーラップさせた、新しいタイプの公共空間である。一義的には、エントランスロビーや各ホールのロビーである。 <空中公園>は、半自然の環境である。自然光と空気が、ルーバーの回転とトップライトの開閉によってコントロールされる。 <円形広場> <円形広場>は、「セントラルパーク」全体のなかでも、市民が自由に活動を繰りひろげられる、最も活動的な空間として計画される。 <円形広場>は、白山公園と川の両方を見渡せる太鼓橋のほぼ頂(いただき)に位置する直径約65メートルの芝生の広場である。 <円形広場>は、<空中公園>の巨大な「穴」の下に位置し、居心地のよい包みこまれた空間となっている。また、<空中公園>が浮いているので、視線は、水平方向に通り、公園全体との一体感は失われない。 <円形広場>は、「市民文化会館」へのメイン・アプローチである。ここに設けられた、<エントランス・スロープ>によって、人々は、上へと自然に導入される。 <円形広場>と<空中公園>は、ひとつづきの空間であり、両者の間では、立体的な視線の交錯が生まれている。
1【プロジェクト】 このプロジェクトは、次の時代の社会的、経済的営みの原型をかたちづくるような施設形態(ビルディング・タイプ)の仮説的なモデル・プロジェクトである。このような施設を社会のアクティビティや欲望、人やものの流れを整流するものという意味で、一般的にレギュレーター(整流子)と呼ぶ。ここではそのレギュレーターの一形態として「サバーバン・ステーション」と呼ばれ得る施設を考察の対象とする。 2【テキストとしての位置付け】 「サバーバン・ステーション』プロジェクトは、施設の原型を考えることを通じて次代の社会のシナリオを用意することを目指している。 つまり、それが目指すのは、特定の「建築」を正確かつ具体的に描くことではなく、このシナリオを通じて将来の社会や都市空間の変化を考える筋道を用意することが目的である。従って、読む人の関心に従って読み替えや発展を許す、という意味で「開いた」テクストになることを目指している。それゆえ、このシナリオはひとつからなるものではなく、様々なサプ・シナリオや無数のパラレル・シナリオからなる。 3【レギュレーター】 従来の(モダン)社会は、「生産」と「消費」の二軸に分けられていた。レギュレーターは、生産の流れと同時に消費の流れをも整流する。つまり、それが想定するのは生産と消費が必ずしも対立項ではない社会である。そこでは「働く」、「学ぶ」「遊ぶ」というような機能カテゴリーは相互排除的であるよりも、互換性のあるものと考えられる必要がある。レギュレーターはそのすべてを内包するのでなくてはならない。 4 【ペリフェリーとしてのサバーブス】 舞台を郊外に設定した。ここでいう郊外とは、例えば東京にあって、都心部を含む旧来のコミュニティの外側(ペリフェリー)に広がりつつある新規開発地であり、例えば東側の湾岸やとりわけ西側の第4山の手と呼ばれるような場所のニュータウンなどを想定している。ここは「郊外」とはいっても従来の郊外住宅地とは全く異なったスケールの出来事が急速に進行しつつある場所であって、その歪みがまともに露呈している地点である。いわば「ハンディキャップト・シティ東京」の典型的な場所である。余り注目されてはこなかったが、このような場所は史上あまり存在していなかったはずであり、このために私たちはそれを語るべき確かなクライテリアをもっていない。 ここは都心でもコミュニティでもない、あるいはそのどちらでもある。しかる」ここには膨大な新しい住氏が住みつきつつある。現在の状況に対する批判は余りに容易だが、逆にポジティブな提案は難しい。それが郊外を立地点として想定した理由である。 5【ステーション】 ここでいう「ステーション」とは、別に鉄道の駅を意味するわけではない。郊外におけるさまざまのアクティビティの整流の結び目(ノード)として機能する施設という意味で用いられている。 サバーバン・ステーションの核機能としては「働く」という機能を考えたい。それは現在の郊外の主役である女性やシルバーが、都心でフルタイムという従来の(成人男性型)タイプとは異なった形で働くようなプログラムを核としてステーションを組み立てることが、都心(男社会)へのオルタナティブとしての郊外のアイデンティティを強調することにつながると考えられるからだ。しかし、「オルタナティブ」として、それは単に郊外立地というにはとどまらず、都心型のフルタイム就業とは異なった自由度をもち、「学お」、「遊ぶ」機能とも接続され、組み替えられる自由な整流モードを有する。将来的にはこのオルタナティブこそがむしろ主流となっていくようなモメントを目指している。つまり、ステーションの発展の時系列を思い描くことが必要だろう。それは、「仕事」、「遊び」、「学習」などのカテゴリーが融解していくプロセスとして想定できる。その場合、この過程の媒介となるものは何かを考えていく必要があるだろう。 6【ハイパーコミュニティへ】 これまでの郊外は、都心に関して一方的に従属的なヒエラルキーの中に秩序づけられてきた。いわゆるコミュニティ施設の配置モデルがそうだ。結果として、郊外相互は均質で、従って郊外相互の横の流れのないものとなってしまった。この状況をプレイクスルーする必要がある。都心から郊外コミュニティまでのツリー的な従属関係からセミラチスもしくはリゾームのようなモデルへの変換のためにレギュレーターが作動するとしたら、それは都心の「ステーション」と対抗し得る特殊性をもつ必要がある。そうなった時、郊外はサプ都心の域を脱したハイパー・コミュニティとなる。 7【ネオ・パブリックへ】 このステーションを運営する主体は、新たな意味でのパブリックの担い手となる。それは自治体であるかもしれないし、民間のサーヴィス産業であるかもしない。いずれにせよ、その枠組みは既存のものとは異なってくるはずだし、それは組織を成立させるために更なるネットワーク化を推進していかなくてはならず、従来の公共と民間のサーヴィスの枠組みを乗り越えながら、新たな公共体のイメージを形成する。中間的に様々なタイプが可能であろうし、また、それはサプないしパラレルのシナリオで全体のシナリオを考えていく上で重要な枠組みを提供すると思われる。「ネオ・パブリック」はある意味では将来の社会組織自体の雛型である。「サバーバン・ステーション」はただ施設モデルを提示するだけではなく、将来の生産モード、消費モードの整流を通じて社会や生活の枠組み自体の改変を示唆する、そうした意味でのシナリオ・プロジェクトなのだ。 8 【ポジティブ・フィードバック機能とディスプログラミング】 すべての機能が予期されて、プログラム化されるとしたら、それは固定的に過ぎるプログラムと考えるべきである。人間のアクティビティは常に予期された機能以上のものであり、常に不確定性を内包しているからだ。それを裏切るようなディスプログラミング機能(反機?)をも備えておくことも必要であろう。 このステーションの主体が真に新しいものとなり、従ってそれ自体新しい社会の触媒となり得るには、それが自己組織化機能、ポジティプ・フィードバック機能を備えているべきであるう。制、整流されることは、一意的にコントロールされるだけではなく、自己教化を通して自分の欲望実現能力を開発し、それを制する側に回るといった専帰構造をつくりだすことになる。レギュレーターはレギュレートするのみではなく、自らもレギュレートされる。 このフィードバックが起きるには、「教育」機能が不可避である。既にある欲望を刺激するのではなく、新たな欲望をつくりだすことが肝要だ。それは単なる消費刺激にはとどまらず、よりクリエイティブな文化の創造につながるはずだ。
公共空間(PUBLIC SPACE)共有空間(COMMON SPACE)、私的空間(PRIVATE SPACE)の3つの空間が、下から順に、積み重なる。上に行くほど、私的な領域になる。 公共空間(PUBLIC SPACE) =道路に面する1階は、ビロティ形式。地域社会に開かれている。中庭は通り抜け可能。また、内部空間のうち、食堂、スカッシュ・コートは、昼間には地域住民の利用も受け入れることが望ましい。 共有空間(COMMON SPACE) =2階は、この施設の住民のための共有空間。個人では持つことのできない規模と質のファシリティと空間か用意されている。様々なアクティビティに対応する。 私的空間(PRIVATE SPACE) =個室は、全て3階にまとめられている。入口は2階の共有空間(COMMON SPACE)に、直接面する。メゾネット・タイプ。廊下はない。部屋は、庭による採光と換気。生活に最低限度必要な設備・備品が備え付けられている。(机、流し、冷蔵庫、収納、ベッド、洗面台、トイレ、シャワー)


